2008年2月24日日曜日

愚息に背負われる


 いぜん僕は、子どもが生まれたとき、こんなことを書きました。
「この子はまるで初期化されたフロッピーのようだ。これからこのフロッピーに、どんな言葉や物語が入力されていくのかが楽しみ...。」
でも、今は、それはちょっと違うかなと思います。
初期化されたのは親の方。子どもは、それまで、僕たちの目では見ることのできなかった情報を日替わりで伝えてくれます。
 つい昨日のこと。
 何を思ったか、息子が「パパ、おんぶしてあげようか」と突然の提案。こちらは長期にわたる忘年会と新年会、そして運動不足で体重は77キロのリバウンド。無理とは思いつつ、彼の背中におおいかぶさったのですが、何たること僕の身体はふわりと宙に浮き上がりました。一歩、二歩、10歳の愚息は力強く足を踏みしめリビングを進んでいきます。数十年前、母に背負われていたころの幸福感とはまた違う、妙なここちよさ。あー、何だろう、今は言葉では表現できません。少し胸の奥が切なくなるような不思議な気持ち。
 まあ、子どものいる生活はこんなことの繰り返し。
 歳月の梯子はのぼるたびに伸びていき、下界の風景は昨日と違った姿となります。
 そして、この世の中というのは、この”小さな人たち”のために存在しているのだ、と思えてくるのです。