2011年2月27日日曜日

雲の上で想ったこと

 2月24日、25日と広島へ出張。

東京方面から、広島というと飛行機か新幹線か迷うところであるけれど、昼まで東京で仕事をし、16時前には広島入りして打ち合わせという予定だったので、必然的に空路ということになる。よほどの飛行機嫌いでないかぎりこの選択が正しい。

 それに、僕は高いところはからきしダメだけれど(観覧車にも乗れない、たぶんスカイツリーも一生展望台には近寄らないだろう)、飛行機は全然だいじょうぶ、というか窓から外を眺めるのがことのほか好きなのだ(揺れたりするとすぐに家族への遺書を書こうと思ってしまう臆病者だけど)。 

 運よく窓側の席が取れた。シートベル着用のサインが消えた頃から、ボーっと窓の外を眺めていた。あきない。雲の上の風景っていつでも人の心を平穏にやさしくする。地上が厚い雲に覆われているときや、雨降りでないと雲の上の風景は見られない。快晴ではいけない。皮肉といえば皮肉。だからよけい得した気分になるのか。

東京から広島へ

ふいに、昨年12月初旬に他界した父を思い出した。半年間入院の末、元気な状態で自宅のベッドに戻ることがかなわなかった。その父が、よく「飛行機に乗って、どこでもいいから旅をしたいなあ」と言っていたことを。

父も、この景色が見たかったのだろう。やさしい気持ちになりたかったのだろう。

父はまだこの雲の上にはいないはずだ。今日も曇り空の下、世話になった人たちの様子を伺いに、あちこちぶらぶらしているに違いない。
広島から東京へ
 
母は、12年前に亡くなった。母と父がこの天上にいるのだ、と思えるようになったとき、機内から見る雲の上のこの光景もまた違ったものに思えてくるのだろうか。

2011年2月23日水曜日

「すぐに忘れられちゃうんですよねえ」

 「すぐに忘れられちゃうんですよねえ」とその彼女が言った。
 職場における仕事の話だ。彼女は、僕より多分20歳以上年下の同業者。僕と同世代の上司に対する、まあよくある愚痴。
 いろいろと報告をして”考えておこう”と返事をもらっても、一向に指示が出てこない、ということらしい。
 僕は、「そうだねえ、色々な仕事抱えているだろうからねえ。俺も、なんでも忘れちゃう。だから、なるべく覚えているうちに、すぐに動くようにしているのだけれど。放っておくと、自分たちの時間の流れだと、すぐに1ヵ月2ヵ月たっちゃうからね」とこたえた。
 異論はあった。-そんなの昔からいっしょ。だから、何度もしつこくこたえを求め続ける。そして、ダメとはっきりいわれなければ、もう動いてしまう。そうしてはじめて、上司は本気になるのだから・・・-たぶん、一言では、上手く伝わらないと思ったので「まあ、自分のことも含めてとにかくすぐに動くしかないね」とだけ言った。
 「忘れられちゃう」ほうが仕事はしやすいときもあるんだよ。
 とにかく、フットワークだ。そして「打つべし、打つべし、打つべし」と帰りの電車の中で彼女に言いたくてもなぜか言えなかったことを心の中で反芻していたら、なぜか僕自身、元気が出てきた。うん、明日のために!
 ああ、これも、忘れちゃうかなあ。


ひねくれゆうちゃんの赤いかさ 4

 「おみやげといえばね、ゆうちゃんに会いたくなったのは、そのおみやげのせいなんだよ」とおばあちゃん。
 「え。なになに?」
 ゆうちゃんはドキドキして、おもわず電話に思いっきりくちびるをくっつけてさけんでしまいました。
 「ゆうちゃん、そんなに大きな声をだしたらみみがこわれてしまうよ。あのね、とってもいいものをデパートで見つけたんだよ。それを見つけたら、つい買ってしまってねえ。ゆうちゃんがとてもよろこびそうなものだったから」
 「ねぇ、ねぇ、ねぇ、おばあちゃん。なーに、それ、はやく言ってよ」
 ゆうちゃんのくちびるはますます電話にくっついていきます。
 「あのね、とってもかわいい赤いかさなんだよ。ピーマンとニンジンの絵がかいてあるの。おばあちゃんはそれをゆうちゃんにプレゼントしたくてね」
 おばあちゃんは、ゆうちゃんが電話に口をくっつけて大声を出すのをけいかいして、受話器からみみをとおざけて話しました。
 ぎゃくに、ゆうちゃんはうれしさのあまり、何もしゃべることができなくなってしまいました。
 「ねえ、ゆうちゃん。きこえてる?どうしたの?」
 おばあちゃんは、心配になってたずねました。
 「バンザーイ!!!」
 ゆうちゃんはありったけの大声を出してさけびました。
 おかげでおばあちゃんの右耳は、そのつぎの日までよく聞こえないほどでした。
                                  (つづく )

2011年2月20日日曜日

佐野眞一さんの言葉と「団塊世代」の可能性

朝日新聞読書欄・佐野眞一氏の『本を開けば』が面白い。今朝は森達也さんの『A3』を紹介していた。
「ノンフィクションを一言で定義すれば、つい本当だと思ってしまう、テレビやインターネットで日々押し寄せてくる情報について、事実を丹念に掘り起こし、実は何も知らなかったことを読者に気づかせる文芸」という。けだし正論。
「森達也は、あなたは本当にオウムを知っているのですか、もっとあからさまに言えば、死刑判決が出た麻原を”吊るして”終わりにしてしまって本当にいいんですか、と執拗にと問いかけている」と。
「麻原がメロン好きだいうことまで報じたメディアが、今ではオウムに対し完全に口を閉ざしているのはおかしくないか」と批判。
そして、「オウムに対して騒ぐだけ騒いで、深刻に考えざるを得ない局面になるとスルーする。連合赤軍に関し見てみぬふりをしてきた同世代の私にはこうした社会風土を作ることに加担したのではないか、という思いがある。傷口を開けられるようで、読むのが辛かった」と語る。
団塊の世代がもう一度社会のムーヴメントをつくりうるとすれば、こういう反省から立った発想を持つことではないか、とその世代をちょっぴり批判してしまうことがある僕が、まじめに考えた。
 加藤仁さんに吹っかけたら、どういっただろう。ああ、酒飲みながら語り合いたい。



ひねくれゆうちゃんの赤いかさ 3

 そんなゆうちゃんに、6月のある日、とびきりのニュースがとびこんできました。
 プルルルル・・・・・・・・プルルルル・・・・・・・・
 ゆうちゃんが一人おるすばんをしていると、いきなり電話がなりだしました。電話はいつでも、とつぜんにかかってくるものなのですが、ゆうちゃんはいっしゅん、どきんとして受話器に手をかけました。
「もしもし、おばあちゃんだよ」
 山形のおばあちゃんからの電話でした。
「なぁんだ、おばあちゃんか」
 ゆうちゃんは、ほっとしてそう言いました。
「おばあちゃんか、だなんて、ゆうちゃんおばあちゃんからの電話でがっかりかい?」
「ううん、だぁいすきだよ。ねぇねぇ、おばあちゃん、元気?」
 ゆうちゃんは山形のおばあちゃんのことが本当に大好きなのです。
 とってもやさしくて、いつも東京のゆうちゃんの家にくるときには、とびっきりのプレゼントを持ってきてくれます。
「おばあちゃんは元気、元気。そろそろ、ゆうちゃんのお顔が見たくなってね。東京に行こうと思ってるの」
 おばあちゃんは、いつものやさしい声でそういいました。
ゆうちゃんは受話器のすぐ向こう側におばあちゃんのにこにことした笑顔が見えるような気がしました。
「わぁーい。ゆうこ、うれしいなあ。ねえねえ、おばあちゃん。この前もってきてくれたサクランボ、とてもおいしかったよ」
「なんだか、おみやげのさいそくをされているみたいだねえ」
おばあちゃんは、きげんのよいときの声で話します。   (つづく)

2011年2月19日土曜日

加藤登紀子さんとエディット=ピアフな夜

 自由ヶ丘に夫婦で買い物に出かけ、「ケチャップ」というお店で昼食。僕はパスタと妻がピザ。パスタは生めん。生めんのパスタと言えば、昔よく食べた代々木の「孔雀の舌」が美味しかったなあ。二日酔いの日に食べる、独特のカルボナーラの味はいまだに僕の味覚中枢に貼りついている。今は人形町に店が移転したらしい。

 ピザは3種類のチーズがのったシンプルなもの。ブルーチーズがポイント、美味しかった。

  モッツァレラとブロッコリーの生パスタトマトソース           3種チーズのピッツァ

夜は、六本木「スイートベイジル」で加藤登紀子さんのライブ。バックにジャズピアニストの島健という豪華な組み合わせ。二組のご夫婦と会場で待ち合わせ。 僕だけは一人。

 普段の登紀子さんのコンサートとちょっと味付けが違う、シャンソンを中心にそのときに登紀子さんが「歌いたいものをきっぱり歌う」ライブ。今夜は、彼女が愛するエディット=ピアフの物語が中心に添えられていた。 

 エディット=ピアフの作品「愛の讃歌」「バラ色の人生」、そして、登紀子さんがピアフに捧げたオリジナル「名前も知らないあの人へ」「ペール・ラシェーズ」。

 「名前も知らないあの人へ」はピアフが18歳のときに亡くした娘のことを思う夜のことを歌った。「ペール・ラシェーズ」はピアフと2歳で死んでしまった娘のマルセルが眠っているパリ郊外の墓地、パリ・コミューンに蜂起した市民兵士たちが多く殺された場所でもある。

 素晴らしい4曲だった。人生を感じた。生きる力を感じた。命を感じた。鳥肌がたちどおし、圧倒された2時間だった。

 よし、ピザとか食ってるだけでなく、今度は妻と一緒にコンサートへ行こう、と一瞬思う。

2011年2月15日火曜日

ウソつかない道具はなーに

 大宮駅のすぐそば、「弁慶」という路地を少し入った縄のれんの店にS君とふらりと入る。気風のよさそうなマスターとマスターのお母さんと思われる二人が店内を切り盛りしていた。

 そして、カウンターの奥には、二人の子どもが寄り添って仲良く遊んでいる。マスターの娘と息子らしい.
小学校2年生のお姉ちゃんと4歳の弟だという。二人ともとても人懐っこくて可愛い。都会の店ではちょっと珍しい光景。

 なんか、離島の居酒屋に行ったような気分になった。沖縄の小さな焼き鳥屋さんなどには、店の中で小さな子どもが普通に遊んでいることが多い。家族で訪れたりすると、子ども同士すぐに仲良くなり、親たちだけで食事ができてしまう。

 「弁慶」のふたりの子どもも同じ、お父さんとおばあちゃんに注意されながらも、じょじょに二人は我々の方にちょっかいを出しに来る。



 お姉ちゃんが、僕たちにクイズを出してくれるという。弟くんはその答えを言いたくてしょうがなく、お姉ちゃんに許しを乞うている。お姉ちゃんは、こっちのおじさん(S君)には言ってもいいけど、あっちのおじさんは絶対ダメ、などといっている。差別だ。弟くんは、僕のほうをいたずらな目で見ながら、嬉しそうにS君に耳打ちをしている。

 「わかったら手を上げて答えてください!」とお姉ちゃん。
 「ハーイ」僕。

 クイズの内容。
 1減っても減ってもなくならないもの、なーんだ。
 2固くて食べられない果物、なーんだ。
 3母には会えないけどママには2回会える、なーんだ。
 4ウソをつかないお母さんがよく使う道具、なーんだ。
 5すぐ怒る虫、なーんだ。

 2以外、正解した。
 皆様も一緒にお考えください。
 (答えは明日以降)

 7時ごろ仕事帰りと思しき、やさしそうなお母さんが店に迎えに来て、二人はとても幸せそうな表情で僕らとハイタッチをして帰っていった。



 僕らには誰も迎えは来なかったけれど、とてもあたたかな気持ちになって僕らも店を出て大宮駅に向かった。

2011年2月14日月曜日

キックキックトントン

 たしか天気予報にはなかったはず。午後6時ごろから東京地方もしずかにふっていた雨がひらりひらりと雪に変わり、7時からはバサバサとしっかり積もりまっせという迫力のある降雪となった。


 「猫のひたい」の我が家のベランダもこんな感じ     駐車場もすっかり雪国

 僕は戌年なので、雪が降ってくると心がときめく。今夜のような、予期せぬ雪は尻尾があったらちぎれるくらい振ってしまうだろう。
 雪はいい。普段でこぼこした場所をきちんと平らにしてくれる。気持ちいい。大好きな、宮沢賢治の『雪渡り」の一説。


 「・・・・・四郎とかん子とは小さな雪沓をはいてキツクキツクキツク、野原に出ました。」
 「こんな面白い日が、またとあるでせうか。いつもは歩けない黍の畑の中でも、すすきで一杯だった野原の上でも、すきな方へどこ迄も行けるのです。平らなことはまるで一枚の板の上のやうです。そしてそれがたくさんの小さな小さな鏡のやうにきらきらいきらきら光るのです。」
 森に入っていった四郎とかん子は。白狐に出会い仲良くなり一緒に踊りだします。
 「キツク、キツク、トントン。キツク、キツク、トントン。」     
  この賢治の擬音、たまらない。
  どんな町中にいても、雪が一面を白く覆いつくすとホント、狐が出てもおかしくないような気がするのだ。
 けれど今日は、電車を降りたら狐ではなく、尊敬する映画作家・想田和弘監督の『選挙』に登場する山さん見たいな人に出会ってこれはこれでシュール。新風に吹かれて風邪ひくなよ。


ネズミ男の後ろ姿みたいではある。




ひねくれゆうちゃんの赤いかさ 2 

 ゆうちゃんの夢は、まっ赤なかさをさして、雨のまちを歩くこと。それをくるくる回しながら、水たまりのなかでも元気よく、スキップをして歩くのです。

 ようち園の道のりだって、どんなに楽しくなることでしょう。

 でもお母さんは、ゆうちゃんが小学校に入学するまではがまんしなさいと言いいます。

 歩くさきがよく見えなくなってしまうし、かさのふちが目に入ってしまうかもしれない。

 レインコートさえあれば、ぜんぜんだいじょうぶ。だから、小学校に入ったらかさをかってくれると言うのです。

 ゆうちゃんが小学校一年生になるまで、あと一年かかります。これから夏が来てプールや海に行って、秋になっておイモほりをして、冬になって雪がふったら、雪だるまをつくって・・・・・・。

 それでもまだまだ一年はたちません。なんて気の遠くなるような長い時間なのでしょう。

 だからゆうちゃんは、雨ふりの朝はきまって、

「ねえ、お母さん。今日はかさをさして出かけていいでしょう。ねえってば」

 とねだります。

 けれどもお母さんは、いつでも

「ゆうちゃんにかさはまだ早いわね。なれていないととてもあぶないんだから。それに風がふいてきたら、ゆうちゃんなんて、かさといっしょにふきとばされてしまうかもしれないんだから」

ときっぱり言うのです。

 そしておまけに、

「あんまりわがまま言うと、今日のカレーはにんじんぬきよ」

なんてつけくわえるのです。

 ゆうちゃんは、かさのさしかたなら、もう頭の中でなんどでもれんしゅうしているので、目の前が見えなくなるようなことなんてない、 というじしんがたっぷりあります。それに、万が一風にふきとばされたって、それはそれですてきじゃないですか。

 かさといっしょに空をとんでいくなんて、メアリーポピンズみたいで、ワクワクします。

 だから、ますますかさをさして歩きたいという気持ちが強くなってくるのです。

 でも、にんじんぬきのカレーはこまります。

 ゆうちゃんはしかたなく、レインコートをきて雨の町にでかけます。

 「ちぇっ、おかあさんのわからずや」

 ゆうちゃんは口をとがらせながら、レインコートのフードをまぶかにかぶって、雨のまちを歩くのです。

                                                      (つづく)

2011年2月13日日曜日

ブログ復活(しようかな)

このところ、ツイッターの140字の世界に引き込まれてしまってブログを更新してこなかった。やっぱり140字はさえずりで、ちょっとつぶやきたいことがあるときはブログもいいかな、ということでブログを復活(しようかな)。ブログ用に書きためたものがあるので、遡ってアップするかもしれません。

 などと思いつつ机を整理していたら、まだ息子が生まれる前に書いた子ども向けの創作話の原稿が出てきた。




 未だ見ぬ「自分の子どもに読んでもらおうと、書いたのだが、なぜか女の子向け。僕には、女の子がいないし、息子も中学2年になろうとしており、ラグビー部で鍛えられつつあり首は太く胸板も厚くなり始め、ちょっと恐怖を感じるときもある。読んでもらう機会を逸してしまった。恥ずかしながら、とここで少しずつ発表(不連続連載)。



ひねくれゆうちゃんの赤いかさ 1

 ひねくれゆうちゃんは、、本当はゆうこという名前なのですが、なぜそうよばれているかというと、まだ5さいのくせにピーマンとニンジンが大好きだからです。 

 ね、とってもひねくれでしょ。  

 ゆうちゃんは雨ふりも大好きです。 雨ふりがつづくとようちえんのお友だちはみんな、

 「雨ふりはいやねぇ」      

 とまるでお母さんのような顔をして言います。

 でもゆうちゃんは

「そんなことないよ。雨ふりって楽しいよ。雨つぶがほっぺたにぽつんとあたると気持ちいいよ。」

といいかえすのです。

 お友だちはまたまたいいかえします。

「雨ふりだとさ、うんどう会や遠足がちゅうしになるじゃん。やっぱりやだよ」

 けれどゆうちゃんも、またまたまたいいかえします。

 「雨ふりだって運動会はできるよ。地面がつるつるして、いつもよりおもしろくなるかもしれないよ」

 もし、園長先生も雨ふりが好きだったら、うんどう会や遠足はちゅうしにならないはずです。中止になるのは雨のせいではなく、それをきらいな園長先生のせいなのです。

 ・・・・・・・・雨ふりをワルモノにしたらかわいそう。

 ひねくれゆうちゃんはいつもそう思うのです。              (つづく)