朝日新聞読書欄・佐野眞一氏の『本を開けば』が面白い。今朝は森達也さんの『A3』を紹介していた。
「ノンフィクションを一言で定義すれば、つい本当だと思ってしまう、テレビやインターネットで日々押し寄せてくる情報について、事実を丹念に掘り起こし、実は何も知らなかったことを読者に気づかせる文芸」という。けだし正論。
「森達也は、あなたは本当にオウムを知っているのですか、もっとあからさまに言えば、死刑判決が出た麻原を”吊るして”終わりにしてしまって本当にいいんですか、と執拗にと問いかけている」と。
「麻原がメロン好きだいうことまで報じたメディアが、今ではオウムに対し完全に口を閉ざしているのはおかしくないか」と批判。
そして、「オウムに対して騒ぐだけ騒いで、深刻に考えざるを得ない局面になるとスルーする。連合赤軍に関し見てみぬふりをしてきた同世代の私にはこうした社会風土を作ることに加担したのではないか、という思いがある。傷口を開けられるようで、読むのが辛かった」と語る。
団塊の世代がもう一度社会のムーヴメントをつくりうるとすれば、こういう反省から立った発想を持つことではないか、とその世代をちょっぴり批判してしまうことがある僕が、まじめに考えた。
加藤仁さんに吹っかけたら、どういっただろう。ああ、酒飲みながら語り合いたい。
ひねくれゆうちゃんの赤いかさ 3
そんなゆうちゃんに、6月のある日、とびきりのニュースがとびこんできました。
プルルルル・・・・・・・・プルルルル・・・・・・・・
ゆうちゃんが一人おるすばんをしていると、いきなり電話がなりだしました。電話はいつでも、とつぜんにかかってくるものなのですが、ゆうちゃんはいっしゅん、どきんとして受話器に手をかけました。
「もしもし、おばあちゃんだよ」
山形のおばあちゃんからの電話でした。
「なぁんだ、おばあちゃんか」
ゆうちゃんは、ほっとしてそう言いました。
「おばあちゃんか、だなんて、ゆうちゃんおばあちゃんからの電話でがっかりかい?」
「ううん、だぁいすきだよ。ねぇねぇ、おばあちゃん、元気?」
ゆうちゃんは山形のおばあちゃんのことが本当に大好きなのです。
とってもやさしくて、いつも東京のゆうちゃんの家にくるときには、とびっきりのプレゼントを持ってきてくれます。
「おばあちゃんは元気、元気。そろそろ、ゆうちゃんのお顔が見たくなってね。東京に行こうと思ってるの」
おばあちゃんは、いつものやさしい声でそういいました。
ゆうちゃんは受話器のすぐ向こう側におばあちゃんのにこにことした笑顔が見えるような気がしました。
「わぁーい。ゆうこ、うれしいなあ。ねえねえ、おばあちゃん。この前もってきてくれたサクランボ、とてもおいしかったよ」
「なんだか、おみやげのさいそくをされているみたいだねえ」
おばあちゃんは、きげんのよいときの声で話します。 (つづく)
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