「猫のひたい」の我が家のベランダもこんな感じ 駐車場もすっかり雪国
僕は戌年なので、雪が降ってくると心がときめく。今夜のような、予期せぬ雪は尻尾があったらちぎれるくらい振ってしまうだろう。
雪はいい。普段でこぼこした場所をきちんと平らにしてくれる。気持ちいい。大好きな、宮沢賢治の『雪渡り」の一説。
「・・・・・四郎とかん子とは小さな雪沓をはいてキツクキツクキツク、野原に出ました。」
「こんな面白い日が、またとあるでせうか。いつもは歩けない黍の畑の中でも、すすきで一杯だった野原の上でも、すきな方へどこ迄も行けるのです。平らなことはまるで一枚の板の上のやうです。そしてそれがたくさんの小さな小さな鏡のやうにきらきらいきらきら光るのです。」
森に入っていった四郎とかん子は。白狐に出会い仲良くなり一緒に踊りだします。
「キツク、キツク、トントン。キツク、キツク、トントン。」
この賢治の擬音、たまらない。
どんな町中にいても、雪が一面を白く覆いつくすとホント、狐が出てもおかしくないような気がするのだ。
けれど今日は、電車を降りたら狐ではなく、尊敬する映画作家・想田和弘監督の『選挙』に登場する山さん見たいな人に出会ってこれはこれでシュール。新風に吹かれて風邪ひくなよ。
ネズミ男の後ろ姿みたいではある。
ひねくれゆうちゃんの赤いかさ 2
ゆうちゃんの夢は、まっ赤なかさをさして、雨のまちを歩くこと。それをくるくる回しながら、水たまりのなかでも元気よく、スキップをして歩くのです。
ようち園の道のりだって、どんなに楽しくなることでしょう。
でもお母さんは、ゆうちゃんが小学校に入学するまではがまんしなさいと言いいます。
歩くさきがよく見えなくなってしまうし、かさのふちが目に入ってしまうかもしれない。
レインコートさえあれば、ぜんぜんだいじょうぶ。だから、小学校に入ったらかさをかってくれると言うのです。
ゆうちゃんが小学校一年生になるまで、あと一年かかります。これから夏が来てプールや海に行って、秋になっておイモほりをして、冬になって雪がふったら、雪だるまをつくって・・・・・・。
それでもまだまだ一年はたちません。なんて気の遠くなるような長い時間なのでしょう。
だからゆうちゃんは、雨ふりの朝はきまって、
「ねえ、お母さん。今日はかさをさして出かけていいでしょう。ねえってば」
とねだります。
けれどもお母さんは、いつでも
「ゆうちゃんにかさはまだ早いわね。なれていないととてもあぶないんだから。それに風がふいてきたら、ゆうちゃんなんて、かさといっしょにふきとばされてしまうかもしれないんだから」
ときっぱり言うのです。
そしておまけに、
「あんまりわがまま言うと、今日のカレーはにんじんぬきよ」
なんてつけくわえるのです。
ゆうちゃんは、かさのさしかたなら、もう頭の中でなんどでもれんしゅうしているので、目の前が見えなくなるようなことなんてない、 というじしんがたっぷりあります。それに、万が一風にふきとばされたって、それはそれですてきじゃないですか。
かさといっしょに空をとんでいくなんて、メアリーポピンズみたいで、ワクワクします。
だから、ますますかさをさして歩きたいという気持ちが強くなってくるのです。
でも、にんじんぬきのカレーはこまります。
ゆうちゃんはしかたなく、レインコートをきて雨の町にでかけます。
「ちぇっ、おかあさんのわからずや」
ゆうちゃんは口をとがらせながら、レインコートのフードをまぶかにかぶって、雨のまちを歩くのです。
(つづく)
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