2008年4月6日日曜日

薬屋と床屋のやたら多い街

 桜満開の日曜日。あたたかな日差しの中ぼんやりと、この街で迎える春はもう15回目になるんだなとしみじみ。

 1回引越しをした。でも、駅からの道のりはほとんど変わっていない。駅から僕の家までの間の1キロちょっとくらい続く商店街は、生活必需品やらなにやらがやたら安く、広い地域から人びとが集まってきて元気が良い。

 足かけ15年における変化。おもちゃ屋がなくなった。(店先でしっぽを振りながらキャンキャンとなく子犬のおもちゃを売っているような店、息子が2歳ぐらいの頃まで、よくここで地団駄踏んでぐずってたなあ)レコード屋が2件すべて閉店、そのかわりTsutaya1件開店。100円ショップが3件できて、1件たたんで現在2店。豆腐屋1件なくなり、残りあと1件。呉服屋2件ともなくなる。

 たくさんあった社宅もどんどんマンションに建て変わった。銀行、生保、石油会社、総合商社、自動車メーカー、、、頭に「大手」がつく企業の社宅がやたらとあったその場所で今は、一つ屋根の下、いろんな職業の家族が暮らしている。
 
 山口瞳の昭和38年の直木賞受賞作「江分利満氏の優雅な生活」はわが町が舞台となっている。
 サントリー(当時は寿屋)の社宅がこの街にあり、出版社から転職した山口瞳も実家の事情で入居、サラリーマン生活を満喫しながらも、やや複雑に社宅生活をおくっていた。「江分利満氏・・・・・」は高度成長時代初期の勤め人の日常をベースに綴られたサラリーマン小説。妻・治子さんの著書によれば、山口瞳の当時の生活と、本書で語られている逸話ははほぼ事実に近いという。

 当時のわが街を山口は次のように描いている。「薬屋と床屋がやたら多い」「ひととおりのものはそろうが、商品の底が浅い」「食べ物屋が概してまずい」大きな声では言えないけれど、これ、50年近くたった今でも変わっていません。小さな声で言います。今でもホントおんなじです。山口瞳はこの後、国立に移り、武蔵野文化人となりました。たぶん、この街のことは、以降あまり思い出さなかったのではないのだろうか。

 実は山口先生が 住んでいたサントリー社宅、今でも同じ場所でその役割を果たしております。我々夫婦がこの街で暮らし始め、妻が初めて僕のスーツを出しに行ったクリーニング店でおしゃべり好きな奥さんに、なぜか「サントリーの社宅の人でしょ」と言われたと聞き、山口ファンの僕としては、なんだか知らないけど嬉しい気持ちになった記憶がある。
 
 山口先生に、「街に歴史がない。だから街のにおいというものがない。街の季節感なんてまるでない」と直木賞受賞作で評されたこの街も、50年という時が刻まれ、今では少しは季節の風が吹いてくるようになった。たぶん、山口先生の頃は植えたばかりで貧相だった桜も今は見事に成長していますよ。
 桜も成長し、季節も感じることができるのだけれども、惜しむらくは、居酒屋「文蔵」とか「ロージナ茶房」みたいな店が、、、、。ぼくが、ステッキで散歩する頃にはできているのかな。

 妻に新しいスイミングキャップを買ってもらう。水泳1500メートル。29分26秒。
 

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