2008年4月26日土曜日

長野・聖火リレーのその日、白木屋頑張る

 今日は、長野でエッセイスト・しえさんの出版記念イベント。                                   
 しえさんは、「エースの錠」でおなじみ俳優の宍戸錠さんのお嬢さん。(なんか韻踏んでいる) 自身の子宮がんを克服し、今は同じ病気を経験した女性の悩みを語り合う場づくりや、子宮がん検診の大切さを訴える活動をしている。
 
 昨年末、壮絶な体験を克明に記録した闘病記を出版。その関連イベントが、なんと世界中で話題になっている北京五輪聖火リレーの日とぶつかってしまったのだ。 3月初旬に、このスケジュールを決めたときにはまったく話題に上らず、意識の外にあった聖火リレーではあったが、アテネの採火式から始まって、パリやサンフランシスコなど各国のリレーが進むごとに人々の関心は日ごと膨らみ、「日本でも何か起きるかもしれない」とマスコミが固唾を呑んで 長野を見守っている。

 善光寺からスタートするはずだったリレーも僧侶の判断でキャンセル。まあ妥当な決定。リレー終了後、午後2時からおこなわれる予定の記念セレモニーも中止された。これは、僕たちにとっては、ホッとする出来事。しえさんのトーク・イベントは3時からおこなわれる予定だったから。何かそこで事件が起きたら、トークショウに参加の方々も気が気でない。

 実は、しえさんと長野をご一緒するのはこれで2回目。10年前、しえさんの弟、宍戸"ファイト1発"開さんが、パラリンピックの聖火ランナーに指名され、パラリンピック関連本を企画していた僕も併走。開さんのマネジャーでもあるしえさんも一緒だった。今日のような雨の中を共に走った仲なのだ。因縁と言えば因縁。

 しえさんとの待ち合わせは東京駅12時少し前だったので、10時30分ごろまで自宅で聖火リレーをテレビでチェック。やっぱり長野駅前は大変なことになっていた。僕らが、数時間後にイベントをおこなうビルの前で、欽ちゃんがペットボトルを投げつけられる。

 息子に「これから、お父さんはあそこに行くんだけどねえ」と言うと「えー? わざわざ見に行くの?」とあきれた様子。確かに、僕は台風になると川原へ増水の様子などを見に行きたくなるタイプ、早く言えば野次馬なのであるけど(大きな台風のときには、必ずこういう人が各地に一人や二人いて、ひどい目に遭っている)、今日は違う。「そうじゃない、仕事だよ」と答えると、興味なさそうに「フーン」。

 「あっ、愛ちゃんの前に誰か飛び出してきた!!」 妻が興奮する。卓球の福原愛選手がトーチを掲げて走っているときに、これまで海外のニュース映像で目にしたものと同様の光景が目に入ってきた。9時過ぎくらい。この時の映像は、僕が家を出る10時30分ごろまで、これでもかと何度も何度も繰り返し放送された。 

 しえさんと東京駅で予定通りの時間にお会いする。「凄いときに、ぶつかってしまいましたね。」と苦笑。表参道駅のようにおしゃれになった駅地下で、昼の弁当を選ぶ。

 長野駅には、2時過ぎに到着。聖火リレーがちょうど終了するころ。いつもはのんびりしたホームに今日は、何人もの警察官が警備にあたっている。
 改札に向かうと、今度は報道陣が多数。「我々を押さえに来たのかな」と、軽い冗談を言いながらも、ちょっと緊張。長野はまだ異様な雰囲気に包まれている感じ。

長野新幹線改札前の報道陣。僕たちの出迎えではなかった

 駅前のあちこちに、真紅の中国国旗をもった集団と赤と青のチベット国旗を手にした集団を見かける。どちらも手持ち無沙汰という感じで、うろうろしている。駅構内は少し緊迫していたけれど、外に出てみればやっぱり「祭りのあと」感は否めない。

これからどうする?という感じだった中国の応援団

 一番、張り切っていたのは、まだ午後2時すぎなのに「開店してますよ!」とビラを配り、プラカードを掲げシュプレヒコール、ではなくPRする居酒屋・白木屋の店員。

 そんな中、しえさんのトーク・イベントは無事に始まった。                                     家族の闘病体験の辛さを熱く語る人、今日の話をもとに癌と戦う友人を勇気づけたいと感動する人、「私も癌だったけどこんなに元気よ」と逆にしえさんを励ます人、さまざまな参加者に囲まれトーク・イベントは終了。こちらのほうは、大成功。平安堂の長崎さん、ありがとうございました。しえさんも本当にお疲れ様でした。

終始涙を流されている方も。感動的なトークショウとなりました(長野・平安堂で)

 長野サンルートホテル内「りんせん」で軽く打ち上げ。午後7時過ぎに駅へ。何事もなかったような静けさ。あの騒ぎは、いったいなんだったのだろう、と思う。

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