ふだんは、リビングのテーブルで勉強している彼だが、僕が帰宅し、食卓について彼の正面でビールなどを飲みはじめ「何だ、お前の字は汚いな」とか「そんな計算も間違えるのか」などと難癖をつけ始めると、愚息は「タタミの部屋」のこの机のほうへ避難する。
2008年6月10日火曜日
学習机のこと
ふだんは、リビングのテーブルで勉強している彼だが、僕が帰宅し、食卓について彼の正面でビールなどを飲みはじめ「何だ、お前の字は汚いな」とか「そんな計算も間違えるのか」などと難癖をつけ始めると、愚息は「タタミの部屋」のこの机のほうへ避難する。
2008年6月1日日曜日
びわの収穫
息子が、幼稚園の年中のころ吐き出したビワの種から芽が出て約6年、この春きれいな花を咲かせたと思ったらなんと一個だけ実がなりました。息子は、オレンジ、グレープフルーツ、スイカなどさまざまな、果物の種を吐き出しては、小さな庭に植える習性がある。
ちょっと複雑な思いで、慎重に切り落とす。 収穫終了
ていうか、僕自身がぼけて忘れていたりして。
2008年5月29日木曜日
今月読んだ本
ドイツ在住、環境ジャーナリスト今泉みね子さんの最新刊。 今泉さんとのおつきあいはかれこれ10年ほど前からか。3冊ほど著書にかかわらせていただいた。フライブルクは当時、世界の「環境首都」として名を馳せていて、突然、「これからはなんつっても環境だよ」という、日本の地方議員とか学生とかマスメディア関係の人々が"視察"や取材と称して大勢押しかけていた。その日本人エコ野郎ども(僕も含めて)の対応を一手に引き受けていたのが、この今泉さん。
クルマのない生活 フライブルクより愛をこめて
とにかく環境といえばドイツ、ドイツ、ドイツと呪文のように唱え、かの国へ行きさえすれば環境問題に対して一過言あるヒトになれると思っていたわれわれに対し、今泉女史はいつも言っていた。
「確かにドイツ人は、市民感覚として日本人より環境に配慮のある考えを自己責任として持っていて、そこから学ぶべき制度やライフスタイルはたくさんあるけれど、問題も山積み。日本人だって、振り返ってみれば捨てたものじゃないんだから。まず、日本の良いところを見つけないと、本当の意味で環境問題をフライブルクから学ぶことはできないのよ」といわれ、目からうろこが落ちた気がしました。
本書は彼女が生まれ育った東京本郷での昭和30年代の山の手の生活ぶりが紹介されています。
頑固一徹ではあるけれどユーモアも忘れないまさに江戸っ子の祖父母のライフスタイルに関する話が闊達に描かれており、そこから日本人がもともと持っていた都市生活における自然との折り合いのつけ方、生態系などという言葉は意識せずに自然の循環にきちんと配慮した知恵をもっていたことなどを学ぶことができるのです。
amazonの紹介欄には「エコに関心のある全ての人に贈る、さわやかで素敵な一冊です」とありますが、エコ野郎どももそれなりに、そうでないヒトにも十分手にとってレジへ向かう価値のある作品であります。
自身の周辺のことを面白おかしく書きながら「ヒトの幸せってなんだったんだっけ」とほんわり考えさせてくれる本書は、ぼくにとっての「08年上半期のベストエッセイ」に決定です。
今泉さん、どんどん腕上げていきますねえ。
今泉みね子さんのブログも人気急上昇のようです。
2008年5月27日火曜日
自省録 Meditations
長田弘さんの「記憶のつくり方」の最終章「みずからはげます人」で引用されているマルクス・アウレーリウスの詩を何度も読み返す。何度も暗誦する。何度も何度も心の中でつぶやく。
「ここで生きているとすれば、もうよく慣れていることだ。またよそへゆくとすれば、それはきみののぞむままだ。また死ぬとすれば、君の使命を終えたわけだ。そのほかには何もない。だから、勇気をだせ」
2008年5月25日日曜日
ギターとヴァイオリン、至福の時間 Kiyoshi Shomura
コンサートタイトル「舞曲」の肩に”荘村清志還暦記念コンサート”とある。いやあ、60歳にはまるで見えない「永遠のプリンス」であります。ギター王子。
荘村さんの演奏を生で初めて聴いたのは20年ほど前のこと、当時は師匠ナルシソ=イエペスが開発した10弦ギターを使用していた。
荘村さんの指がその楽曲の持つ魅力を一つも逃すまいと掘り起こしていく姿勢、そのストイックな演奏に圧倒された。 聴衆も演者の緊張感に引き込まれ、コンサート会場は、非常に高いステージのカルチュラルな空気に包まれた。
その後、荘村さんは6弦ギターに持ち替えた。50歳になる少し前の頃だったか。
そのころから、荘村さんの修行僧のようなストイックさはしだいに薄れていくように僕には思えた。あえて言えば、自分自身のパフォーマンスを楽しんでいるような感じ。
とぎすまされた感性をベースにしたヒューマンなその演奏スタイルは、さらに僕らファンの心をとりこにした。と、同時に常に進化する荘村清志というアーティストの才能に感嘆し、またギターという楽器の奥深さに感心させられた。
荘村清志の人間的な演奏に触れれば触れるほど、その「人柄」にも接したような気持ちになる。それは「やさしさ」や「向上心」などの言葉だけではあらわすことのできない、精神性の深さみたいなもの。
荘村さんは、このところ、様々な分野のアーティストをゲストに向かえ、今日のようなデュオ・コンサートをおこなっている。楽器、国籍を越えての共演で、お互いの魅力を倍増させてしまう。それは、演者の技術の高さももちろんではあるけれども、荘村清志の人間性に因るところが大きいのではないかと思う。
今回のパンフレットに荘村さん自身が、こんなコメントを寄せている。
「(小林さんと演奏した際)・・・演奏し終わった後、背筋を正されたような衝撃を受けた。この人と演奏していると自分が高められると思い今回の演奏会が実現した。・・・」
60歳の大御所が、である。この一文に荘村さんの、人としての大きさを僕は感じぜずにはいられない。
小林美恵さんのヴァイオリンも素晴らしかった。そして美人。力強さとしなやかさに魅了される。
2008年5月24日土曜日
運動会 on sports day
雨がぱらつくかも、と心配されたが天気は上々。今年は、保護者の場所取り禁止。早朝(深夜)から親が子どものために並んだりすることになんとなく違和感を覚える自分にとっては歓迎すべきこと。(幼稚園も入園手続きの際、行列させないというだけで選んだ)
ただ、「原則立ち見」は辛い。(連日飲み歩いているからか) サッカーの応援などにしても90分立ちっぱなしでうなり続けている方々になんとなく違和感を覚える自分にとっては特に。
しかし、川越からやってきた妻の両親は、立ち通しで「娘のときより楽しい」と見物を楽しんでいた。
自分の頃の運動会と変わったところ。
オリンピックの影響か、なぜか必ず万国旗が校庭に吊り下げられていたが、今は子どもたちが描いたイラストが宙を舞っている。しかし、ほとんど地上からは何が描いてあるかは確認できず。
国旗掲揚はなし。
運動会の花形、徒競走。事前にタイムを測ってグループ分けをする。走るのが苦手な子どもでも1等のチャンスあり。そのかわり、タイムの早いグループの子は学年で1番にならないとトップにはなれず。
家族と一緒にお弁当が食べられる。僕らの頃はいったん教室に戻り、給食を食べた。
毎回感心するのは、6年生の組体操。今年は4段の塔が完成。スペイン・カタルーニャのお祭り、castellers(人間の塔)を髣髴とさせる。素晴らしい。子どもたち一人ひとりの真剣な表情に、オヤジ毎年泣きそうになる。
2008年5月23日金曜日
立食パーティのおじさんの生態について少し考える standing up eating
名古屋三省堂の石田さん、売れ行き好調を隠せないこの笑顔
昼食は、S君と丸善書店近くの「鳥栄」。20年くらい前に初めて名古屋・丸善書店の方に連れてきてもらった店。定番のシンプル「鳥の塩焼き定食」をいただく。
本当に久しぶり。10数年前、加藤登紀子さんと一緒に訪れて以来かも。そのとき、登紀子さんと歩道ですれ違うほぼ全員のおば様が、なんか近所の知り合うに会うがごとく「あらあ、どうも。お久しぶり」みたいに、会釈するのがちょっと可笑しく気持ちよい光景としてく記憶に残っております。
丸善名古屋店を始め、何軒か名古屋地区の書店にご挨拶したあと、東京に戻り18時から虎ノ門パストラルで業界の集まり。
みごとにオジサンばかりの立食パーティ。
昔は、この手の宴会と言えば乾杯の挨拶が終わるや否や寿司のコーナーに人々が群がり、最後はぱさぱさのサンドイッチ、チャーハンとか、伸びきったパスタの類が大量に残されるといった光景をよく目にしたけれど、このごろはそうでもない。
当然寿司も出されるのだが、「寿司=ご馳走」とインプットされた世代が少なくなってきたせいか、出席者たちは砂糖に群がる蟻のように寿司コーナーに列を成すこともなく、料理は和洋、肉・魚・野菜それぞれまんべんなく減っていく。
また、自分から料理には手を伸ばさずコンパニオンが持ってくるまで辛抱強く待つ人も増えた。
その昔、初めて立食パーティに参加し、多数のおじさんたちが目の色を変えてマグロの中トロに飛びかかっていく光景を目にし、ああ俺も大人の世界に入ったんだなあ、と感動にも似た思いをしたことがあったけれど、僕自身がそのおじさんの年代になった今では、そんなこともほとんどなくなった。
今の若い人はかわいそうだなあ、などとしみじみ。
パーティ終了後、パストラル近くの虎ノ門3丁目の『清水』。珍しい肴、旬の刺身をリーズナブルな値段で出してくれる店。虎ノ門のサラリーマンやOLで満席、みんな幸せな表情で酒を飲み、つまみを食らう。やっぱり東京に帰ってくるとホッとする。焼酎オンザロックをたっぷりと嬉しい気持ちで飲んで23時ごろ帰宅。
「お土産ないよ」と家族に告げるや否や、ベッドに倒れこみ死んだように眠る。
2008年5月22日木曜日
再び鰻に涙する Eel makes me cry, again
まずは大垣へ。2年半ぶりぐらい。
その昔大垣と言えば、夜の11時30分過ぎ東京駅発の東海道線の普通列車に「大垣行き」というのがあり、「テツ」たちにとっては特別な存在であった。
明け方に岐阜県大垣駅に着き、乗り換えて朝の8時ごろには大阪に着くということで、この電車はいつでも鉄道好きの旅行客でにぎわっていた。と、ともに終電車として利用するアルコール度十分の勤め人たちにも価値のある電車で、僕も横浜に帰るために何度か利用したけれど、車内は旅人と酔人が同居する独特な味わいをかもし出していた。
僕の社の同僚が、学生の頃、茅ヶ崎に帰るために泥酔してこの電車を利用、すぐに眠ってしまい見知らぬ駅で目が覚めて、あわてて降りたら周りの人の言葉が変わっていた(名古屋弁)、というウソのようなホントの話がある。
大垣というと化学工業の街といったイメージがあるのだけれど、最近では工場の跡地に大型ショッピングセンターが建設され、それに伴って大きな書店がどしどしと開店している出版社にとっては重要な地域になりつつある。
ということで、S君と久しぶりの大垣へのご挨拶。書店の方々、お世話になりました。
とある書店で出版社にとってはこんなに悲しいものはないというワゴンを発見
昼食は、大垣駅そばのショッピングセンター「アクアウォーク」内の万豚記(ワンツーチン)で白ゴマ担々麺。これが絶品! スープにはとてもコクがあってかすかな香草の香り。そして麺は程よいアルデンテ。思わぬところでみつけものでした。いいぞ、大垣!
ということで、岐阜市内に移動して打ち合わせ。
打ち合わせ後、地元のT氏にクルマで関市まで連れて行ってもらい、鰻の名店「辻屋」。中部地方の鰻は蒸さずにじっくりと焼き上げるので、アブラがのっていればいるほど外はカリカリ、中はとろとろの感涙蒲焼となる。
で、「辻屋」の鰻も当然カリカリとろとろ。もちろん号泣。今月は、不動前「太田屋」で涙し、これで鰻に泣かされたのは2回目。もっと泣きたい。来月は近所(武蔵小杉)の「むさし野」へ行って泣こう。(元力士のあのおじさんまだ元気かなあ)
老舗の風格がただよう外観(関市・辻屋)
カリカリとろとろ鰻丼、このご飯の中にもう一層天然鰻が隠されております(泣)
涙を拭いたその後、最近ちょっと元気のない柳ヶ瀬に移動。ウイスキーの水割りにカラオケ。いい気分で岐阜駅から22時近くの電車に乗り名古屋のホテルへ。
偶然、名古屋に出張に来ているという大学時代の同級生と連絡を取り合い23時過ぎに栄で落ち合う。柳ヶ瀬とうってかわってこちらは、深夜にもかかわらずパワーにあふれている。
友人の行きつけだという店に連れて行ってもらう。とっても気のいい女性たちの、機関銃のような名古屋弁の攻撃にも鰻パワーで巻き返し、白州12年をまたまた水割りで。
26時ごろホテルに帰還。ついに撃沈、ベッドに倒れこむ。
2008年5月20日火曜日
「バー神田酒蔵」の実直な缶詰 life in a tin can
しかし、バーに入っていきなりカレーでは、酒飲みの名がすたる、ともう一度メニューを凝視。すると、おでん(缶詰)とある。秋葉原で缶詰のおでんが買える自動販売機が流行っていると、テレビで見たことがあるな。
「例のあれですか」と聞くと「いいえ、銚子港だけで売ってるものです」とのこと。「召し上がってみますか」と実直マスターはイタズラっぽく笑う。
すたるほどの名ではないや、と思い直し即「いただきます」と返答。 きちんと盛り付けられたおでんが約1分後に登場。ボリュームたっぷり。大根や昆布、玉子、ちくわ、、、普通のおでんやさんの一人前以上のボリューム。まず、汁をすすってみる。
「う、うまい」出汁が半端でなく美味い。実直マスター、僕らの様子を見て、でしょ?みたいな感じでうれしそうにうなずく。
銚子港特産だというコクのある醤油と港に上がった鰹のダシを使用。こりゃいいや、と樽出しのビールとともに一気に食す。
メニューを見るともう一品「小あじのシークゥアーサーマリネ(缶詰)」を発見。これもいきましょう。
いやはやびっくりアジも美味けりゃ、シークヮーサーの酸味も絶妙にアレンジされマリネの味が引き締まっている。脱帽です。「とりあえずビール」の後のジントニック(ぼくの好きなタンカレーを使用)もグビグビ進む。
缶詰の味をほめるのもなんだとは思うけれど、感動です。「遊び心でメニューに加えたんです」とマスター。
「空き缶見せてくださいよ」と無理を言い、カウンターに出してもらい写真をパチリ。
「本日のハイボール800円」を最後にいただく。アイラウイスキーのダブルソーダ割。これも旨かった。そしてリーズナブル。
良い気持ちになってしまったので、カレーは食べられず。
今度はじっくり飲みたいな。そして、カレーも。
2008年5月18日日曜日
バケツで稲を育てる。「テキトウ」は禁物 kid asked for don't leave it halfway!
へエー、そんなことできるんだ,と思うが、お米好き一家としてはなんとも楽しみな試み。僕自身、稲を育てるのは初めて。小学校の頃、巨大ヘチマの育成に成功し、とても嬉しかったことを思い出す。
混ぜ合わせた土をバケツに移し替える。縁から約5センチのところまで土を入れるのがコツらしい。「テキトウで良いんじゃない」と言うと「絶対に5センチじゃなければダメ」と強く息子にたしなめられる。「オレと性格ちがうな」とふと思う。実際に血液型はちがいます。
慎重に土をバケツの縁から5センチのところに入れている同じ血液型の母子。
バケツ土の準備が終わるといよいよ種まき。これも種の大きさの2倍くらいの深さに蒔かなければいけないと言う。6~7ミリの深さのところに大事に大事に種を埋める。
爪半分くらいのところに、芽を表面に出しながら種同士がくっつかないように間隔を開け埋めていく
いずれにしても5月の気持ち良い日差しの中、稲の種まきは無事終了。秋の収穫祭には美味しいおむすびが食べられるといいのだけれど。
久しぶりのスポーツクラブ。スイミング・1500メートル27分22秒。肉離れ以降、泳ぎ方が慎重になった分、逆にタイムが速くなる。
2008年5月16日金曜日
へぎ蕎麦を食べ、スペアリブを想い出す "hegi-soba" reminds me spareribs with savory sauce
文春の人たちのたまり場だった。
「忍」で飲んだあと、ちょっと蕎麦でも食って帰ろうかという際は、深夜まで営業している近くの「きんかん亭」に行くのがコースだったのだけれども、フラフラ歩くなか「へぎそば 昆」というのれんも横目で気になっている僕なのであった。「へぎ」ってなんだろう? 2丁目だけにちょっと怪しい蕎麦屋さんなのかなと勝手に思っていた。
その後、実際にへぎ蕎麦を食べたのは、日販の新潟出身y課長に連れて行ってもらった御徒町の店で。それ以来”へぎファン"になり、新潟市内でも何件かで食したのだが、ここ「昆」の蕎麦の方が美味いなあと思うこともしばしば。新潟市内の美味しい店を知らないからなのかもしれないけれど。
結局随分と日本酒をきこしめし、当たり前だけれど〆めは「へぎ蕎麦」。アルコールで温められすぎた胃が今度はやさしく冷やされていく。しあわせ。
2008年5月13日火曜日
加藤仁さんとの約束 at last, carry out the promise
2008年5月12日月曜日
ケバブ、立ち喰いそば、インド人 kebap
駅で待ち合わせ。塾帰りの息子と一緒に帰る。
20時30分、「お腹がすいて死にそう」と愚息。小学生がこの時間に夕食をとっていなければ当然のこと。 「今日、ご飯何かなあ」家路の会話はそればかり。
メシ食う前にまずビール、となってしまう僕としては、死ぬほどご飯が食べたいという純粋な息子の空腹感が懐かしくもあり、うらやましい。でも、ビールが先。
商店街を歩いていると,えも言われぬよい香りが僕らの鼻と胃を刺激する。移動トラックで、夜になると店を開く「ケバブ」屋さん。本来は羊の肉のはずだけれど、この店は牛のばら肉をこれでもかと重ねて串に巻きつけ回転させて、電熱器みたいなやつでじわりじわりと遠火に焼く。
肉汁がぽたぽた落ちるその肉の塊をトルコ人(推定)のお兄さんが長い包丁みたいなやつでガシガシこすげ取り、キャベツと一緒にブリトーみたいに包んでくれる。何度か食べたことがあるけれど、これが本当に美味しい。
誘惑に負けて、「買っちゃおうか」と僕。「あー、お願い」と息子。夕飯を用意している妻の顔をちらりと思い浮かべながらも、「1個ください」あーあ、言っちゃった。
たっぷりと肉を切り取ってくれるお兄さん。 息子がよだれをたらしてかぶりつきそうになるのを制する。半分は母親にあげよう、家まで待つのだ。(妻もケバブ大好き)
袋の上からくんくんにおいをかぎながら「美味しそうだね。でも、秩父宮(ラグビー場)で食べたのは美味しくなかったね」と愚息。
そうなのだ。去年の秋、息子とトップリーグの試合を観に行った際、スタジアムに日本人による移動ケバブ屋さんが出店していた。それは、僕らにとっては、辛いだけのなんだかよくわからない”ソースだぼだぼ羊肉サンド”であった。
「ケバブはトルコ独特の食べ物だから、日本人がつくったってなかなか美味しくならない。ここのはトルコの人(推定)がつくっているからこんなに美味しいのだよ」と息子に説明。去年訪れたフランクフルトにもたくさんのトルコ人が住んでいて、たくさんの美味しそうなケバブ屋さんがあったっけ、とつけ加える。
「そうかー」と妙に納得する息子。
その国の人が作る料理、といえば、この数年でインド料理の店がわが町にも数件開店し、こちらのほうも、きちんとインドの人(推定)が店長だったりする。
僕がときどき昼飯を食べに行く代々木駅近くのインドカレー屋も同様。そういえば、昔から「アジャンタ」とかの本格的インド料理レストランのほとんどは厨房にもホールにもインド人(同)が働いていたような気がする。
と考えたところで、代々木駅の立ち食い蕎麦屋さんにおける出来事を思い出す。つい先日のこと。食券の券売機近くのテーブルで天ぷらそばをたぐっていると、若いインド人(推定、しつこいか)が店にやってきた。カウンターの向こうのオバちゃんに何か言おうとするのだけれど、昼時の忙しいおばちゃんは気づいているのかいないのか相手にしない。
少しして券売機の存在に気づいたその若者。しかし、券売機には数え切れないほどのメニューやらトッピングの素材やら盛り方などが表示されたボタンが並んでいる。インドの若者は、券売機の前で呆然としている。
インド人にもソバ好きがいるのか、粋じゃないか、と僕はその若者に声をかける。僕自身、外国を旅して何回もその国のおせっかいなおじさんやおばさんに助けられた経験があるから。
「わかるか?」と聞くと、哀しそうに首を横に振る。そうか、よし、ここはこの立ち食いソバ好きのおじさんにまかせろ。
「ソバかうどんか、上に乗せるのは、てんぷらかコロッケか、ナニガホシイノダ」と聞く。
すると、彼はかぼそく高めの声で、「カレー、えっとカレーライシュ」と答える。
うーん、なるほど、といえばなるほどだけれど、予期せぬ答えであった。カレーだったらすぐそばにおいしいインド料理屋があるではないか。
何年かたって国に帰った彼は、自分の息子に「カレーは、トーキョーの立ち食いソバ屋のものに限るのだよ」なんて話すのかもしれない。
2008年5月11日日曜日
母の日のプレゼント on mother's day
息子と商店街で母の日のプレゼント購入。
まずは、花屋さん。母の日用に、セットで売られているものが数種類あったけれど一応ショウケースの中のものを息子に見繕わせる。ピンクと赤のカーネーションを中心に、レース・フラワーをあしらってもらい花束に。 カスミソウをすすめられたけれど、テーブルに置くには少し香りがきついので、レース・フラワーを選ぶ。
花屋さんに入って、これとこれと、、、と注文するのはいくつになっても小恥ずかしい。僕が子どもの頃は親と一緒に花を買うのは仏花くらいしか覚えがない。息子は照れず、花屋で和んでいる。
息子からのプレゼントは、この花束と屋台で売っていたクリーム大判焼き1個。(これは、息子の好物、2個買って1個は自分で食べていた)
僕も酒屋で、プレゼントと称してカバ(スペインのスパークリングワイン)・フレシネのロゼを購入。9割がた僕が飲む。
2008年5月10日土曜日
妻、恩人に再会する our reunion
潮干狩りのアサリをおすそわけしたご近所から、脂のよくのったエボダイをいただく。恐縮。
なんだかわらしべ長者。とても可愛い顔をしているから食べる前に写真を撮っておいて、と息子に言われパチリ。
つぶらな瞳がチャーンミング~。(我が家は今,エドはるみ大ブーム)
とかなんとか言いながら、テレビをつけると妻が「ああ、この人、この人」と興奮。
釧路湿原・鶴居村、ホテルTAITOのオーナーで写真家の和田正宏さん。テレビ東京の旅番組。
先月、この日記にもちらりと書いた、妻が学生時代、釧路湿原・鶴居村に旅をした際にとてもお世話になった方が、テレビのスイッチを入れた瞬間その画面に現れたのだ。
雪原のタンチョウが見たくて一人旅で冬の釧路を訪れた妻。
"写るんですよ"しかもっていない、そんな彼女を和田さんが夕暮れ時、シークレットポイントに同行させてくれ、警戒心の強い丹頂鶴を刺激しないよう雪洞を掘り、そこから首だけ出して一緒にタンチョウの夫婦が巣に帰る様子を観察させてくれたとのこと。
「一生忘れない、素晴らしい光景だった」と妻。それを聞いて息子がとてもうらやましがる。
18年ぶりのテレビでの再会。本当にその節は妻が大変お世話になりました。
僕が先日29年ぶりの釧路を訪れ、テレビではあるけれど妻が18年ぶりに釧路の旅の恩人に再会。
なんだか縁といえば縁。
いつか必ず家族で釧路湿原にいこうね、といただいた干物を食べつつ誓い合う。
2008年5月9日金曜日
わたしの脳はカゲロウのように mayfly came to my office
事務所の窓にカゲロウがとまっていた。
さかさまになって、じいっと僕たちの様子を見ているみたい...。
キャー、かわいいなんて言いながら女性スタッフがかわるがわる観察している。蜂や蛾が紛れ込んできたときとは大違い。
これ、何かの幼虫?とMさん。
これは立派な成虫。幼虫はあり地獄。穴掘ってアリを食べちゃう残酷なヤツ。
「わたしの職場もアリ地獄」などとくだらないことを言う。クスリと笑ってくれたのは、多くの女性スタッフに囲まれた一部の男性社員。
でも、成虫になると2~3数時間のはかない命なのでカゲロウと呼ばれるのだよ、などと続けて知ったかぶり。 その後、その人生の大部分をかけて何時間もそのカゲロウは僕たちの仕事ぶりをぴくりとも動かず見守っていた。
家に帰って昆虫好きの息子に写真を見せる。ううう、恥ずかしい。
「これは、クサカゲロウ。幼虫がアリ地獄で寿命が短いのはウスバカゲロウ。クサカゲロウはアリ地獄なんかにならないし、何日も生きるよ」だって。
雑学王を気取るヒナ壇タレントみたいにえらそうに話してしまった。くだらない冗談までつけて。
僕のつたない知識がカゲロウのようでした。ごめんなさい。
2008年5月7日水曜日
不動前のウナギに目をシロクロ charcoal grilled eel knockin' me down
東急目黒線・不動前駅から歩いて2~3分、すぐにおなじみのロゴが掲げられたビルを発見。1階には渋谷時代同様、とても感じのよい受付担当者。
打ち合わせは、"偶然"にも午後6時ちょっとまえに、ひと段落。誰からともなく「時間もちょうどなんで、ちょっと場所変えて、食事でもしながら、、、」ということに。当然「よござんすね」となる。
目黒不動へは何度か訪れているけれど、ちょっと一杯といった土地勘はない。どうしようかな、と思うか思わぬうちに「少し、気になる店がありましてねえ」と紀伊国屋・小野氏。引越し仕事が一段楽した後、事務所周辺をぶらりとした際に、気になるたたずまいの店を見つけたと言う。
小野さんには、溝ノ口で名店「たまい」を教えてもらった。「小野さんが言うなら間違いないね」と、多少責任を押し付けつつ、まだ少し仕事が残っていると言う小野さんより一足先に三上さん、僕、O嬢の3人で"気になる店"不動前の居酒屋「太田屋」へ。
教えられた道を行くと、すぐに薄暮の街に赤提灯が頬を染めて僕たちを待っている。縄のれんもおいでおいでしています。店内は数え切れないくらいの短冊に書かれたメニューに囲まれている。どれもこれも庶民的な値段。「こりゃいいや」「ホント、ホント」「やるねえ」とかいいながら、先ずは、生ビール。
そのうちに、小野さんも合流。「やあ、大正解」「よかった」などといっているうちに、お店の焼きもの担当から、元気のよい「ウナギ蒸したてですよー、焼きたて、美味しいですよー!」の声。
串にくるくると巻きついた「ウナギの串焼き」が僕らの前にやってくる。口の中に入れると、かりっとした皮とともに脂ののったウナギが口の中で溶け出す。唾液が舌の両脇からあふれてきて、騒いでいる。たれの甘さもちょうどいい。「うまいよー」と思わず涙ぐみそうになる。わけもなく「ウナギー!」と叫びたくなる。瞳孔が収縮する。(少し大げさか)
店の看板にはホルモンとあるが、メニューは多彩、刺身の種類も豊富、今年中に何回これるかな。
目黒線は、来月六月に日吉まで延長される。僕にとってはとても便利な不動前。
2008年5月6日火曜日
日本には貝塚が2500カ所ある
朝には味噌汁。そして、晩飯にはバターたっぷりのアサリのワイン蒸し。これで最後、十分楽しませていただきました。
三日間でいったい何個のアサリを食べたのだろう、こりゃ、貝塚なんてのもあちこちにできるはずだね、と妻と話す。
息子に「おい、タテアナシキジュウキョって知ってるか?」と聞くと「知らない」という。「じゃあ、ジョウモン時代は?」「何、それ?」
「お前、何にも知らないんだな」と僕。「それじゃ、ごちそうさま」とつまらなさそうにテーブルを離れる息子。
まあまあ、そう面倒なこと言いなさんな、と最後はワインで蒸されたアサリがつぶやいて息子を擁護したような気が、、。
2008年5月5日月曜日
横浜のアサリ、パエージャになる
2008年5月4日日曜日
私は、貝になりたくない
ゴールデンウィークの恒例行事。今日は大潮、干潮が午前10時なので、8時から狩猟開始。
僕がまだ幼い頃、横浜にはここ金沢八景と金沢文庫の二つの海水浴場があった。父親の運転する車から、途中磯子あたりで『ひばり御殿』(旧・美空ひばり邸)のどこまでも続く白い壁を横目で見つつ海水浴に出かけた記憶が残っている。
どちらの海水浴場も極端に海岸が汚れていて裸足で歩くのがとてもいやだった気がする。
今では、二つの海岸も埋め立てられ、市営の人工海岸となっている。入浜料などもとられることなく、芝生の上でお弁当を食べることもできるのでとても便利。
肉離れのふくらはぎを少々気にしながら中腰になり熊手を使い始めたけれど、ラッキーなことにこの姿勢は患部に影響が少ない。僕の肉離れは、翌日専門医に見てもらい、早くて10日、長くて1ヶ月くらいで完治するといわれた。また、近所の鍼灸院で買った肉離れ用のサポーターをつけてから歩くのがとても楽になった。
今年は、豊漁、ざくざくとアサリが獲れる。引きはじめた潮とともに少しずつ沖のほうへ移動する。息子と僕と2人合わせて、用意した網の3分の一くらいになったので、干潮前の9時30分ごろには狩猟終了。小さめの貝をより分け、また砂浜に埋めてあげる。これもキャッチ&リリースと呼ぶのだろうか。
早速塩抜きをする。鍋にあけてみると意外にアサリの量が多く、ご近所におすそわけ。
まずは真水でじゃりじゃりと洗って砂を落とし、海水と同程度の塩水にひたひたにつけるのだが、最初のうちはみんなかたくなに殻を閉じている。強い意志というものが感じられる。私も貝になりたい。
まあ、楽にしなさいよ、と言ってみても誰一人として心、いや殻を開こうとしない。
それならご自由に、としばらく暗い場所に放置しておくと彼らは不気味に、ゴソゴソとなにやら相談し始める。
何してるの? と息子と一緒に明かりをつけて観察しようとすると、またすぐに殻に閉じこもってしまう。それでも、じいっと見つめていると反抗心の強いやつが、こちらに塩をピュッと吹きかけ攻撃してくる。息子、思わずのけぞる。貝がにやりと笑ったような気がする。
お前らなかなかやるじゃないかと退散、そしてまた,1~2時間経ってから覗いてみると・・・。
一転、なんだかぜんぜん緊張感がなくなっちゃっている。ベロンと舌出しちゃって、もうどうにでもしてください、という態度。尊敬していたのに。ちょっと寂しい。
今夜は、スパゲティ・ボンゴレ、明日の朝は味噌汁、そして夜はパエージャだ。美味しく食べてあげるから、君らはそうやってだらしなく待ってなさい、と叱りつける。それでも、彼らはでろーんとしたままだ。
私は、やっぱり貝になりたくない。
かなり足の状態がよくなっているようなので、水泳再開、1500メートル・28分51秒。