2008年3月30日日曜日

上方落語もいいけど

 今日の朝日新聞、読書欄から。
『「家庭教育」の隘路 子育てに脅迫される母親たち」勁草書房2100円 
著者/本田由紀 評者/北田暁大
読みたい度・8点 購入するだろうな度・7点
 

 「国に頼らず、家庭での教育を見直そう」というスローガンが日本に広く浸透している、という評者の現状分析はともかく、確かに親の意識、あるいは経済状態によって「家庭教育」が2層化していることは実感。家庭、というか家族が子どもに対して行うべき”教育”の本質を考えるのに参考になりそうな本。しかし、日本は子育てが母親に収斂してしまっているという定型的なジェンダー的子育て論になっていなければいいな、と思う。副題を見るとそれがちょっと心配。

 「イギリス炭鉱写真絵はがき」京都大学学術出版会 3570円
著者/乾 由紀子 評者/常田景子 
読みたい度9点 購入するだろうな度4点

 イギリスでは炭鉱絵はがきというジャンルが立派に存在するらしい。炭鉱労働者が知人に職場の様子を知らせるために使ったという。いつごろの絵はがきが紹介されているのか評には書かれていないが、おそらく19世紀終わりから20世紀初頭のものが中心なのであろう。過酷な労働の実態を隠かのすような、誇り高き表情の鉱夫・そこで働く女・そして幼い子どもたちの姿が納められているのだろうか。アート系の出版社のそれのようにそのまま、ポストカードブック形式で、絵はがきとして使える造本になっていたら購入度も高くなるのだけれども、実物は口絵に数点紹介されているだけらしい。
 これ以上シンプルにしようがないというタイトル大好きです。でもちょっと高いなあ。(朝日の読書欄は判型・ページ数などがわからないので、、、もしかしたらリーズナブルな価格かもしれないけれど)

 今月読んだ本。

「わが孫育て」佐藤愛子 文藝春秋

 佐藤愛子女史、大ファンでございます。女流作家の大御所は、未だに元気に怒っておられる。社会を糺し、キャッシュディスペンサーに怒り、犬猫をもまじめに叱る。すべてしごくまっとうな理由から。
 そして、孫とのやりとりがとても可笑しい。帯の文章より・・・・「赤い靴」を歌っていた孫に「おばあちゃん」と呼ばれる。「異人さんって何?」「外国の人のこと」「何で外国につれられて行っちゃたの?」「赤い靴履いて可愛かったからでしょう」「可愛いと連れて行かれるの?どうして?」「エイ、うるさいな、もう。とにかく行っちゃったんだ、赤い靴の女の子は。」・・・・
 特に僕が好きなのは「凍て犬」というお話し。けっして私は愛犬家ではないと言いながら描かれる、拾われてきた飼い犬ハナとの交流。読んでいて幸せな気持ちになってくる。上手いなあ。


「猛女と呼ばれた淑女 祖母・斎藤輝子の行き方」 新潮社 斎藤由香


佐藤愛子と言ったら遠藤周作・北杜夫。その北杜夫の娘が書いた「ぶっ飛びおばあちゃま」の半生記。週刊新潮に連載を始めた頃に比べるとずいぶんと書きこなれてきた感じ。でもいくつになってもおっとりお嬢様っぽいのは変わらない。その道の先輩、阿川佐和子との対談(『週刊文春』で読んだ)でもまったく物怖じせずマイペース。やっぱり北杜夫の娘というより斎藤茂吉の孫なんですね。日本史の教科書に出てくるおじいちゃんだから。阿川弘之先生は日本史には出てこないもの。


「志ん生長屋ばなし」 立風書房 古今亭志ん生


 昨日終了したNHKのテレビ小説「ちりとてちん」を見ている妻が急に「落語は面白い、面白い」と言い出すものだから、「ナニいってやがんでえ、面白え落語てえのは廓ばなしか、江戸の下町を舞台にした長屋ばなしだ、ぅんとうに。ンなことあたぼうだてんだ。でしょ?ご隠居」ということで、その面白さを自分で再確認するためにひさしぶりに引っ張り出した。

今日の水泳
1500メートル 29分24秒。競泳選手のように、ゴーグルの上からキャップをかぶるようにしてからちょっとタイムが早くなった(我々素人はたいていキャップの上からゴーグルをする)。はたして因果関係は?
 

2008年3月29日土曜日

宿沢広朗も気をゆるした店

 久しぶりの神宮外苑「串はし」。 僕的「2007・居酒屋・オブ・ジ・イヤー」の店。2か月ぶり。マスターの「やあ、久しぶりじゃない、ちょうど噂をしていたところなんだよ!」という言葉が嬉しい。
 秩父宮ラグビー場の真向かいにある店だけに、ラグビー関係者が立ち寄ることも多い。僕がこの店を知ったのは、ノンフィクション作家・加藤仁さんが昨年出版した力作、そしてベストセラーとなった「宿澤広朗 運を支配した男」の中で、ある意味重要な場面として紹介されていたことから。
 加藤さんとは3年間、日本各地を取材同行し、居酒屋で飲み、語りあった。「”普通の人”の人生」から、その人の持つ輝きを掘り起こし、それを普遍的に表現し読者に共感を与える、その取材手法を側で学ばせていただいた。
 「宿澤・・・・・」は、巨大銀行の頂点に登りつめる直前で急逝した天才ラガー宿澤広明の、これまであまり語られることのなかった金融マンとしての才覚と功績にフォーカスをあてつつ、同時に日本ラグビー界の改革への野心と失望を描いた出色のヒューマンドキュメント。

                    

 本書には、2001年冬、故・宿沢広明氏が元慶応大学ラグビー部監督・上田昭夫氏、明治大学OB森重孝氏と共に、この「串はし」で日本のラグビー界の本来のあるべき将来像をいつになく熱く語ったと記されている。早・慶・明の重鎮OBが3人集まって飲むことはめったにないということで、この店にはその3人が一緒に書いた貴重な色紙が残っている。

宿沢・上田・森の色紙、誰が書いたか左上の「ラグビー!!」の文字が泣かせる
はじめは、この色紙が見たくてこの店を訪れた

 これってすごいことですよね、とこの店の主人・橋本さんに投げかけても「なんか、そうみたいだねえ」という返事。この反応が、僕にはなんとも気持ちいい。
 橋本さんは、ラグビーよりも競馬の大ファン。馬の話になると目の色が変わる。昨年、縁起物だということで、馬蹄をおみやげにいただき息子の成績アップのお守りにしている。いつか必ず効果を発揮することと信じています。

息子の部屋に掲げているお守りの馬蹄。

 この橋本さんの料理のセンスがすばらしい。特に、まかない的裏メニュー、最高です。 そして、娘さんをはじめ、店を仕切っている女性軍がまたまた魅力的。我ら飲みすけに対するあしらいは、最高レベル。とても気持ちよく酔わせていただける外苑前最強の店。

いつも「魔王」をリーズナブルに提供していただき感謝

 「串はし」は10時ごろ閉店なので、その後近所のこれもホスピタリティあふれるバー・シトラスへ。店主古川さんの今日のお勧め、イチゴとシャンパンのカクテル。焼酎を飲み続け、やや荒くれた僕の舌をやさしく包んでくれ、幸せな気分になる。

イチゴのカクテル。恥ずかしながらいただきました。

 ほんわかほころんだ気持ちのまま、終電近くの電車に乗る、ぼんやり一駅乗り越し。ほんわりした気持ちのまま一駅戻り、ふんわりと帰宅。25時。妻はすんなり「私はもう寝るからね」と言い、僕をきっぱりと放置

2008年3月28日金曜日

新・新横浜

 新横浜がすごいことになっていた。田んぼとラブホテルの中にぽつんと建っていたさびしげな駅の面影は今は昔。昨日、キュービックプラザ新横浜を訪問。オープン2日目、平日にもかかわらず買い物客で大にぎわい。 
新幹線利用客だけでなく、子連れの主婦たちでにぎわうコンコース

 三省堂書店がこの新駅ビル・キュービックプラザの8階に出店。藤堂店長、杉本副店長に挨拶。めちゃくちゃ忙しそう。土・日はどんなことになるんだろう。繁盛すること間違いおまへんなあ、と急に関西弁になったのは、ビルの1階に、阪神間在住の人々の贅沢のステイタス「いかりスーパー」を発見したから。
 同行のy君と駅中の焼き鳥屋で一杯やった後、あまりに多くの人が嬉しそうに入店していくので、僕もなんだかうかれた気持ちになって店内へ。ハイテンションのまま、ワインや、チョコレート、ジャムなどを購入。
 帰路「
いかりスーパー」の紙袋を手にして、気分は芦屋住民。(芦屋といえば、千代田火災(あいおい損保)・白井正敏ちゃん元気ですか←個人的尋ね人)
うれしそうにこの紙袋をぶらさげていた人多し

 何「いかりスーパー」って? という家族にサンタクロースのように紙袋の中からそれぞれのお土産を手渡す。

2008年3月27日木曜日

後ろ向きにすごす休日

 昨日は、数ヶ月ぶりの平日休暇。完全オフ。1日だけの春休み。春休みが始まったばかりの息子と、近所をサイクリング。”「桜めぐり」探検をしよう”ということで、二人とも通ったことのない初めての道を選んで自転車を走らす。


日吉のKO大学裏の桜にまぎれる

 もう、満開に近い状態の桜がたくさんで、驚く。こういうことでもしなかったら、今年は、気がついたら葉桜見物のみ、となっていたかもしれない。


土管のある公園発見。ドラえもんたちの遊び場みたい、と息子喜ぶ。子どもたちに土管は必須アイテム。

 家に戻り、古い資料なども整理しようと意気込み、まずは大昔のベータのビデオをdvdにでもおとそうかな(1983年に購入した、まだ元気なソニー・ベータ・ハイファイがあるので)、と思い、物置を久しぶりに覗いてみたら、息子の小さい頃のおもちゃやらなにやらで、いっぱいになっていて僕の保管していたビデオ・テープの探索はほぼ不可能。妻に文句。すると「たまにとった休みに、過去ばっかり振り返ってなくてもいいでしょ。」と逆襲。

 それでも、学生時代に編集したサークルの会報やら、アナログ・レコード、古い写真、新入社員の頃の仕事の資料などを引っ張り出して過去を思いっきり振り返る。妻もつられて、「こんなの持ってたんだ」などと言いながら少しはタイムトリップにつきあう。息子は、始めて見るLPレコードに「昔のCDは大きかったんだね」とアホなことをほざいていたが、ほとんど興味示さず。

2008年3月23日日曜日

アサショウにひそかにもらい泣き

 生田の春秋苑へ母の墓参。彼岸には少し遅れたけれど、天気も良くたくさんの家族づれと一緒になる。
 母が亡くなって9年。墓参は僕たち一家にとっての欠かせない年中行事。小さい墓石ながらも、墓標の文字は、僕の師匠・装丁家の代田奨さんにお願いし、中国・春秋時代の文字を採字していただき刻まれたもの。時が経つごとに味わいが深まっていく。両手を合わせ、今自分がここにこうしていられることに感謝。息子は「勉強ができるようになりますように」とお願いしたという。なかなか偉いじゃないか。

 帰宅して、スポーツクラブ。スイミング1500メートル、29分22秒。いつもよりかなり速いペース。先週NHKでマイケル・フェリプスの特集を見た成果? いつの間にかクラブ内に、岩盤浴の施設ができていた。今度使ってみようか。でも、岩盤浴って何だ。よく耳にするけれど、どんな風呂だかわからない。湯気が出る岩にしがみついているイメージ。
 クラブの帰り道にある紫木蓮が、早くも開ききり花が落ちはじめている。紫は白より遅く、桜と同じ頃か少しあとに咲くんじゃなかったっけ。異常気象?

 帰宅して、朝青龍×白鵬戦。固唾を飲んで観戦。われら夫婦は朝青龍擁護派、というか朝青龍ファン。これは飲み屋とかであんまりカミングアウトできない。そして、完勝に拍手。思いの他、館内の多くの人々も優勝を祝福していたので感動。そして、アサショウの涙にもらい泣き。でも、まだ飲み屋でこのことは黙っておこう。
 

2008年3月22日土曜日

海は究極のバリアフリーの世界

 東京ビッグサイトにて「ダイビングフェスティバル2008」。
 ダイビング機材、リゾート情報、ダイビングスクールなどのダイビングに関するあれこれを網羅した国内唯一のダイビングショー。毎年1月におこなわれていたけれど、今年は3月開催。真冬に開催されるよりは、この時期のほうが気分が盛りあがる。特に今日は、ゴールデンウィーク並みの陽気。

 息子は、移動水族館「アクアラバン」の"出前渚"みたいなコーナーでヒトデや、ネコザメに触る。ネコザメは、やっぱり鮫肌。ヒトデは裏返すとアサリを丸呑みし、食事中。ちょっとグロテスク。

 息子にとって今日のメインは「なぎさの工作教室」。流木などの海岸漂着物を使ってアクセサリーを作る。「NPO日本なぎさの美術協会」の会長さんのていねいな指導により、すてきなフォトスタンドを完成させました。

        まずは流木の選択から 会長さんの「自由な発想でね」というアドバイスにより流木を選ぶ

  
流木と貝殻によるすてきなフォトスタンドが完成

写真を飾るとこんな感じ

 
 ダイビングのCカードは10歳から取得可能。シュノーケリング暦は4年、去年もウェットスーツを身につけ石垣・白保の海を潜った。アオサンゴの白化現象をまのあたりにし、ショックを受けていた海中生物大好きの愚息。今年は、講習受けてダイバーになると張り切っておりました。


 僕は、日本最高齢のダイビングインストラクター・元俳優の椎名勝巳さん(74歳・東京ダイバーズ)のバリアフリー・ダイビングセミナーに参加。脳性まひや、脳梗塞などによる片麻痺、あるいは視覚障害などさまざまな障害を抱えつつも、海の魅力にとりつかれ潜り続けるダイバーたちと、それを支えるサポートダイバーとの貴重なトークセッションを拝聴しました。「サザエさん」の フネの声でもおなじみ女優の麻生美代子さん(なんと80歳!...見た目はとてもそうは見えないけど...)も、東京ダイバーズのメンバーで現役バリバリのダイバー。


 海中は誰にとっても、常に死と隣り合わせの厳しい自然であると同時に、地上では車椅子が必要な人にとっても自由に動き回ることができる究極のバリアフリーの世界。
 ダイビングが僕の生きる意味を変えた、という脳性まひの青年の言葉に涙。

2008年3月20日木曜日

エルトンよりはビリーかな?

 今日も昨日に引き続き舞台、といっても愚息のピアノ発表会。通っていた幼稚園のすぐとなりにピアノ教室があったので、5歳の頃から数人の友達と一緒に通い始めた。男の子なので、学年が上がるごとに同級生の数は減り、今残っているのは息子ともう一人の二人だけになった。その子は、入室当初から息子と比べるとあきらかに”ピアニスト”という風貌、技術もしっかりしていて、この子は長く続けるのだろうなと感じさせる子だった。翻ってわが息子は、冒頭の写真のような段ボールロボット系(?)、たぶん小学校に入る頃には「やめる」と言い出すと思っていたのだけれどもなぜかいまだに続けている。親父としては、高校やあるいは大学生になって、ロックバンドかなんかに興味を持ったときに「あいつ一応キーボード習ってたらしいぜ」と言われるくらいになれば良いかな、とは思ってはいたけれど。  それほど、音楽が好きだとは思えないので「おまえ、ピアノ別にやめていもいいんだよ」と言っても「特に辞める理由ないから続けるよ」という感じの応え。子どもにとっての、親からの「いやなら、やめてもいいよ」という言葉は、「やめるな」と同義語である、と聞いたことがあるけれど、彼の場合はどうなんだろう。
 それでも、ステージに立ってピアノと向かい合うわが子をみると「お前、かっこいいな」と言ってあげたくなってしまう。
 まあ、いつまで続くかわからないけれど、エルトン・ジョンになってくれるよりはビリー・ジョエルのほうがいいかな? と妄想する今日この頃。

熱演に鳥肌

 戸田恵子主演・二兎社「歌わせたい男たち」を見る。新宿紀伊国屋ホール。

戸田さんの舞台を見るのは10数年ぶり。その時はバイキンマン・中尾隆聖さんとのライブ。おかしくておかしくて涙を流して大笑い、そして最後はホロリ。それ以来のナマの戸田恵子。



 戸田さんとは10数年前、定期的にお話をお聞きする機会があった。名古屋の児童劇団から始まり、アイドル歌手、舞台女優そして声優として活躍するまでを、何回か「アンパンマン」収録後、スタジオ近くの喫茶店とか小社の事務所でうかがった。三谷幸喜監督の映画に出演する直前の頃。仕事に対する姿勢が真摯で、細かい気遣いをなさる方、そして「表現する」ということについていろいろな角度からみつめ挑戦していきたい、という熱い思いをひしひしと感じたことを憶えております。おこがましいのですが、お話を聞いていて「僕もがんばらなければ」なんて思った記憶があります。

 そしてこの10年で、さらにすばらしい活躍、女優として確固たる地位を築かれた。
 今回も大熱演。その才能に鳥肌。そして、おこがましいのですが「僕もがんばろう」と心の中で拳を強く握った夜。

2008年3月19日水曜日

ショーケンからリーボヴィッツ

紀伊国屋書店の小野さん、ミネルヴァ書房の三上さんと打ち合わせ。紀伊国屋書店の溝の口の事務所で。
 打ち合わせ後、小野さんの「溝の口に来たら,まずここです」という、「たまい本店」へ。これぞ居酒屋というたたずまい。従業員の気風もよし。アルバイトと思しき女子も和服にたすきがけ、てきぱきとした客あしらいが気持ち良い。

正しい居酒屋のたたずまい。洗面所にもピンクのカーネーションの配慮。

 刺身や焼き物、うまそうな肴がたくさんあったけれど、今日のメイン料理は三上さんと小野さんがくりだす話題の数々。出版業界の僕の知らない,たくさんの裏話を教えてくれる三上さん。小野さんは、東宝アクション映画の話から親類のお笑い芸人の逸話まで。二人の引き出しの多さにはいつも感服。あっという間の4~5時間。
 今宵のお二人のキーワードは、ショーケン、原田芳雄、スタンリー・キューブリック、根岸吉太郎、シェキナベイベー・裕也、松田優作、小津安二郎、スーザン・ソンタグ、ジャック・ラカン、アニー・リーボヴィッツ・・・。うーん、あとは忘れました。
 胃袋と脳みそを心地よく刺激された夜でした。
 
 

2008年3月16日日曜日

沈丁花効果

 日曜の午後3時を過ぎると習慣でプールへ泳ぎに出かけたくなる。1500メートル・30分30秒。
 スポーツクラブからの帰り路、どこからか、沈丁花の香りが漂ってくる。ちょうど息子が仲良くしている同級生の家の前あたり。同級生の子のものと思われるズボンが、物干しに何本かかかっているのがちらりと見える。「いっぱい遊んで、いっぱい汚して、そしてお母さんが一所懸命、いっぱい洗濯してくれたんだねえ」沈丁花の香りに包まれていると、なんかこういう日常の風景にも、鼻腔の奥がツンときて涙腺を刺激されてしまう。
 沈丁花は僕にとっては、恋のはじまりを感じさせるような、そんな香りだったはずなんだけれどなあ。今は洗濯物をみて せつなくなっている。
 「沈丁花 花葉探して まわりみち」 なんちゃって。

2008年3月15日土曜日

T君の小さな不幸

 3月13日、14日と宇部、広島、福山出張。
○3月13日

 宇部は10数年ぶり3度目。宇部新川駅で同行するT君と待ち合わせ。駅に行くのは初めて。宇部空港からバスで15分、なんとなく寂寥感がただよう駅(喫茶店『フレンド』のマダムや、バス案内所の女性はとても闊達としていて親切でした)。駅前ロータリーの植え込みのふちに哀愁感を漂わせ腰かけているT君を発見。

 喫茶「フレンド」の前にたたずむ、T君のバッグ

駅近くの『中華・一久』でチャーシュー麺。博多の屋台で食べるようなこってりとした豚骨スープを二人背中を丸めてすする。

 宇部での打ち合わせを終えバスで、新山口へ。小郡が新山口という駅名になったことを初めて知る。

 広島まで新幹線。T君の前席、おじさんは席に着くやいなやこれ以上無理というほどリクライニングをフル活用。いきなりT君の目の前に背もたれが近づく。二人苦笑。なんかT君と同行すると、こういう小さな不幸に見舞われることが多い。今回もこれで終わりそうにないぞ。

 広島は、半年振りくらい。先ほどの寂寥感からか、ちょっぴり悲しい思い出がよみがえる。17~18年ほど前のこと。パリで友人に紹介され親しくなった日本人カメラマン・ヤマバタさんの奥様との会話。

 ロシア生まれユダヤ系フランス人のイリナさん。とてもすてきな方、世話好きで僕にもとてもやさしくしてくれた。健康面には特にこだわりがあり「○○○○(僕のファーストネーム)、深呼吸をしなさい」とか「フルーツはたくさんとっても良いけど夜9時を過ぎると食べてはいけないのよ(理由は忘れました)」などいろいろアドバイスをしてくれた。


 パリのお二人のご自宅にお邪魔した時のこと、広島の百貨店でヤマバタさんの展覧会が開かれるので、そのときには会場でお会いしましょうということになった。それを聞いたイリナさんは、ヒロシマは怖いからダメよ、という。原爆の放射能がまだ残っているかもしれないのよ、と。特に爆心地に入ってはいけないわ、真剣に訴える。

 ヤマバタさんが笑いながら「いつも彼女はこうなんだ、広島も長崎も、もう今は大都市でみんな普通に暮らしているんだ、と説明しても聞かないんだよ」と僕に話した。


 チェルノブイリの事故から間もない時期だったということもあったけれど、イリナさんの言葉を聞いて僕は笑えなかった。たぶん世界中にイリナさんのように、ヒロシマ・ナガサキをそういう風に誤解している人は、今でもたくさんいるのだろうなと思う。僕は悲しく、複雑な気持ちになった。


 ご自身の健康にとても気をつけていたイリナさんが数年前に亡くなったということを昨年、青山のスペイン料理店「エル・カステリャーノ」のオーナーに知らされた。 

 夜は、駅近くの「源蔵本店」で食事。ここに来れば元気になれる。新鮮な刺身を驚くべき値段で提供してくれる。子いわしがキラキラ光っている。個人的には「たこの天麩羅」を偏愛。「源蔵」は定食ものも充実している。ご飯好きのT君も大喜び。乾杯と同時にご飯大盛りを頼んでいる。「うまいっすねー」を繰り返す。大満足。

○3月14日
 広島から福山へ。朝食は、広島駅前の立ち食いうどん「チカラ」。「あっさりきつねうどん」が美味しいです。


 かなりハードに仕事をすませ、やれやれと帰路に着く。T君と福山からのぞみ。手配した指定の席は3人がけだった。これでは一人が真ん中の席になってしまうね、ということでとりあえず自由席の二人席を狙おうと1号車に乗り込む。が、自由席は満席。


 もともとの我々の席は14号車。僕は普通の手提げかばんだが、T君は最近はやりのがらがらキャリーバッグ。左右の乗客のひざやら足にバッグをぶつけ、すいません、すいませんと汗だくになって1号車から14号車へ移動するT君。ようやく指定の席に腰を下ろすと、「岡山に停車します」のアナウンス。新幹線一駅分車内を歩いたのでした。


 そして、T君が真ん中の席へ。(僕は窓側) 雑誌などを読みつつ大阪までは無事に過ごす。大阪で通路側の乗客が交代。T君同様の大きな、がらがらバッグを持った女性が乗り込んでくる。しばらくして女性は爆睡。車体が揺れるごとに、ガラガラバッグはT君のほうへ移動してくる。とうとうガラガラバッグはT君の太ももあたりを激しく圧迫し始める。心やさしいT君はバッグを押しやることもできず気をつけみたいな感じで両足をぴったりとじている。

 この日はホワイトデー。 そういえばバレンタインデーの夜も彼は僕といっしょだった。業界関係者の通夜に参列し、その後立ち寄った蒲田の煮込み屋で肩がぶつかったなどと、となりのたちの悪い客にからまれていた。


 T君の小さな不幸はまだまだ終わりそうにない。

2008年3月12日水曜日

洋菓子食べずにビール+焼き鳥

 成城「マルメゾン」にて、著者(エッセイスト・しえさん)の『週刊A』誌のインタビューに同席。
 がんの闘病に関する特集の取材。女性記者ならではの視点で、的確な質問。和やかな雰囲気で取材を終える。こんな風になるのは、やっぱり記者・カメラマンの方のお人柄によるところが大きい。記事が楽しみ。

 このところ、今日の「マルメゾン」や田園調布の「レピドール」で打ち合わせをおこなうことが多い。成城・田園調布といった東京、いや日本を代表する高級住宅街にあるパティスリーなのだから、当然両店のお菓子はめちゃくちゃ美味しいはずだろうけれど、注文するのはアイスティーかちょっとかっこつけて(?)ハーブティー。ケーキセットみたいなのをいつか注文しようと思うが未だ果たせず。
 取材の後、成城学園駅のそばの焼き鳥店で緊急企画会議。この秋にはとてもすてきな本ができる予感。
 

2008年3月11日火曜日

あさ,あさまからあさまやまをみる

3月11日(火)

新幹線「あさま」で長野へ。「あさま」車中から浅間山のゲージツ的な姿を見る。
10時30分より長野・平安堂で打ち合わせ。
昼食は、長野といえば信州そばというところだけれど、僕は長野の駅周辺で美味しくそばを食べられる店を知らないのと、今日は東京へとんぼ返りなので、定番の 竹風堂の「栗御強(くりおこわ)」(631円)を長野駅前の東急デパートのフードコートで購入。車中でいただく。ちょうど炊き立てのほかほかを、丁寧におりにつめてくれた。


ほんのわずかな塩味、甘い栗、付け合せのきゃらぶきがまた素晴らしく、お強と栗と一緒に口に入れると絶妙のアンサンブルがかもし出される。
ここのところ、寒気、喉の痛み、関節痛、食欲不振、が続きとちょっと弱っていたのが、少し元気になる。

3月10日(月)

渋谷のオリンピックセンターで新入社員研修の講師。
僕が研修を受けた頃は、東京オリンピックの選手村そのままで、コンクリートの塊みたいな建物だった。トイレの個室の扉が外国のそれみたいに、大きく隙間が開いていておちつかなかったことを覚えている。いまではなんか、ポンピドーセンターみたいになっている。

2008年3月10日月曜日

がんばれ!ベアーズ

3月8日(土)



1年3ヵ月ぶりのゴルフ。ゴルフと早起きは、桃太郎にとってのキビ団子みたいなもの(?)。5時起き。おかげで、多摩川・丸子橋の向こうから上る日の出を拝むことができた。



おまけに横転する事故車両とも遭遇。


3月9日(日)


 息子が所属するラグビースクールの交流試合。我が学年のチームは自然好き・動物好き・鉄道好きの心やさしい子どもたちの集まり。いまいち勝ちに行く気持ちには欠けているようで、今のところ公式戦勝ち星ゼロ。指導していただいているコーチたちは、とっても歯がゆいと思う。子どもに代わってすみません。
 そして久しぶりの試合、また負けてしまったけれど、一人ひとりの技術がとても向上しているのにびっくり。なかなかボールをキャッチできずノックオンを繰り返していた子がきちんと相手がキックしたボールをキャッチ。小さな体の子が、自分の2倍もあるような選手を自軍のゴール際でタックルし、倒してトライを防ぐ。相手を引きずって、力強いトライする子も。これまで見られなかったプレイの続出。全員彼らなりにがんばっている姿に感動。
 愚息も、独走トライ4本。初めてです。5年生になったら組織プレイもきっとできるようになると思いますので、コーチの方々それまで辛抱してよろしくご指導お願いします。
 夜、トライシーンを思い出しながら飲むビールはやはり格別でした。

2008年3月7日金曜日

アンダルシアの風と「20歳のおやじ」

3月5日は、お久しぶりの方々と会う楽しい夜だった。
まずは、この日から銀座松屋で始まった「イシイタカシ展」へ。石井さんは、東京芸大出身、広告代理店のデザイナーとして活躍した後、スペイン放浪。今は、南スペインに居を構え、アンダルシアの光と風を感じさせるすてきな油彩画を描いています。そして、 フェレイローラという名の彼の住む小さな村の人びとの生活ぶりもエッセイとして紹介する、知る人ぞ知るスローライフ・アーティストです。石井画伯とのおつきあいは、かれこれ20年ちょっと。
 数年ぶり の再会、スペイン生まれの息子さんの敢歩(かんぽ)君とも久しぶりにお会いする。(写真は画伯と敢歩君)ちなみにカンポは、スペイン語でel Campo・草原とか大地と言う意味。すてきなお名 前。始めてあったときは、わんぱく小学生だったけれど、今は名前のとおり、とっても落ち着いたすてきな青年に成長していた。やはりDNAはあらそえない、彼も化粧品会社でデザインのお 仕事をしているという。 
 今回の個展では、多数の新作も展示されておりました。石井さんの絵に囲まれていると自由と幸福感に包まれます。オープニングセレモニーの会場では、15年ぶりにお会いする方も。石井さんの絵の前だとお互いラテン系人種に変身し、やあやあとがっちりハグし合ったりしてしまう。いやあホントに楽しかったです。
 我が家の壁面にも石井さんの作品を2点ほど飾らせていただいておりますが、この空間が我が家唯一の贅沢だといえるスペース。石井さんの絵を眺めてワインを飲めば「気分は、地中海」であります。

 まだ、愚息が幼稚園の頃、僕にはよくわからない彼が書いたいたずら書きのようなものを
画伯が見て「おー、うまい、うまい、対象物を面ではなくて、立体的にとらえている、いいよねー、ホント」なんていってくれて、とても幸せな気持ちになった記憶がある。ラテン系はほめ上手。

 ドーモドーモ、また近いうちに、と挨拶交わし、銀座松屋の大催事場をあとにして、赤坂の「ふじわら」へ。、これまた久しぶりに会う大学時代の同級生と食事をする。「ふじわら」、素晴らしいお店です。まだ若い2代目板長のすてきな和食を楽しみつつ、今度は気分は大学生、20年以上前にタイムスリップ、20歳の頃同様のアホ・バカ話に花が咲く。思い出話もときには心の栄養。
 親父ギャグを連発する"20歳"に戸惑っているようではありましたが、板長にはホスピタリティあふれる対応をしていただきました。多謝。
 ちょっと、このところくたびれていたので個展 と友人との食事、二つのイベントはちょっときついかなあと一瞬思ったこの夜、結果的に元気が出る楽しい"はしご"になりました。
 敬愛・尊敬する絵手紙大師匠・小池邦夫先生の言葉、「動かなければ出会えない」を実感した夜。


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2008年3月4日火曜日

ちょっと得した

 月末におこなうイベントの打ち合わせのため、丸善・丸の内本店へ。担当者を待つ間ビジネス書のコーナーでぼんやりと平積みの本を眺めていると、となりにどこかでお見受けした紳士が、、、。
 誰だったっけかなあ、考えているうちに,その紳士は1冊の単行本を手にとり、レジのほうへ向かっていった。「あ、そうだ」と思いだす。岡田民主党元代表。なかなかの二枚目だったです。
 一人でふらりと書店にやってきて、しばし棚を見回し、気に入った一冊の中身をぱらぱらと確認して「あ、これ読んでおこう」とすぐに決断、会計に向かう。なかなか正しい(?)平日昼下がりの書店活用法。  僕は、急激にどんな本を買ったのかひどく気になりだした。横目でちらちらと盗み見したけれど何をお買い上げになったかはわかりませんでした。
 テレビなどでよく見る有名人に偶然出くわすと、なんとなく得した気分になる。そして、誰かにそのことを伝えたくなるのだけれども、帰宅して、妻に報告したりする段になると興奮も冷めていて自分でも「だからなんだっけ?」と思う。と思いつつも、ちょっと儲けた気持ち。
 何の本買ったのかなあ。

 

2008年3月2日日曜日

木久ちゃんおそるべし

 梅も咲き始め、木蓮のつぼみもちょっぴりずつふくらみかけて、沈丁花が春の香りをふりまいてくれるのもカウントダウン寸前。僕の尊敬する俳人、花田春兆さんの俳号そのままの今日は日曜日。春兆さんずいぶんお会いしていないけれど、お元気かな。などとほんわか考える。新しいことの始まりの兆しに胸がときめくこの時期、今年こそ始めよう、と新年に決意した事なども思い出し、まだ何にもしていないやと気がつくときでもある。焦りつつ桜の開花を迎え、そしてハナミズキの頃には忘れたことにする。
 この土日のいくつかの予定すら反故にしてぼんやり過ごし、いつものとおり近所のスポーツクラブのプールへ。1500メートルを29分30秒。いつもより30秒以上速いペース。となりのコースにきれいにクイックターンなどをする女性が泳いだりしていたので、やってやろうじゃあないかとついついスピードアップ。「どんな状況でもマイペース」これも今年の課題なのだが、、、。
 スポーツクラブから戻り「ロンQ!ハイランド」という番組を家族とともに見る。この中の1コーナー「プープー星人の逆襲」がとくに面白い。シャワーもそこそこ、あわてて帰宅し「プープーに間に合った!」と喜んでいる自分が情けない。でもハマっております。考えてみると、僕が1週間のうちで必ずみる番組は、この「ロンQ!」とそのあと同じチャンネルで始まる「笑点」 ぐらいだ。「笑点」なんてもう何年も見ていなかったが、最近になって息子といっしょに見るようになった。10歳のガキんちょが70歳に「木久ちゃん、もうなに言ってんのー」かなんか、突っ込みを入れている。”木久ちゃん”おそるべし。歌丸と楽太郎の「バトル」にも転げまわって喜んでいる。つられて僕も笑う。
 「笑点」を見て笑う自分なんて、10代後半からこっちまるで想像できなかったこと。自分が10歳のとき家族で見ていたものと同じ番組をその頃と同じ感覚で、今度は自分の10歳の子どもと見ている、なんかとっても不思議。
 「プープープー、プーププー(スターウォーズのメロディで)」とか「山田君てあれでもう51,2歳のはずなんだよ」とかなんとか言いながら、今年もやるべきことを先送りしてクリスマスを迎えてしまうのだろうか。 
 
 

2008年3月1日土曜日

夢が届いた

 1月にある会合でP社のS社長にお会いした。その際、息子がその社で出版している、子どもの間では超有名なベストセラー作家の大ファンであることをお伝えした。S社長は「だったらサイン色紙を送るから、名刺の裏に息子さんの名前を書いておいて」と言って、ぼくから息子の名前を裏書した名刺を受け取った。
 そして、にやりと笑って、「すぐに手配するから、万一届かないようだったら、催促の電話頂戴ね」と付け加えられた。
 その後、別の新年の会などでS社長のお姿をお見かけする機会が幾度かあったのだけれど「まだ届いてないんです」なんてあつかましく督促なんてできません。初対面だったS社長に、こちらから図々しく「子どもがファンでして」、などと声をかけたものなのだから。
 そして、数週間後、P社の方から電話が入ったとの伝言。タイミングが悪く、何度か電話をいただいた後やっとお話しすることができた。「○○○の色紙は届いているでしょうか」というお問い合わせ。まだ手にしていないことを恐る恐る伝えると、「やっぱり、、、そうでしたか、本当にすみません。社長のSが大変気にしていたのでご連絡差し上げました。ちょっと手違いがあったようです。」とのこと。多忙なはずなのにとても丁寧な対応。さすが日本中の子どもたちがファンになる書籍のご担当、とてもきちんとされたあたたかい感じの方でした。わがまま言ったのはこちらのほう、本当に恐縮です。
 そして、翌日、、、。届きました!編集ご担当者の心のこもったお手紙とともに息子の名入りの色紙が。息子は飛び上がって大喜び。そして、「正夢だぁ」と叫んだ。どういうこと?と聞くと「ぼく、おととい、この色紙が届く夢を見たんだ」という。
10歳の息子にとっては一生忘れない出来事となったはずです。
S社長、ご担当者様、そして○○○○先生。ありがとうございました。

家族全員が、幸せな気持ちになった土曜の朝でした。