2008年3月15日土曜日

T君の小さな不幸

 3月13日、14日と宇部、広島、福山出張。
○3月13日

 宇部は10数年ぶり3度目。宇部新川駅で同行するT君と待ち合わせ。駅に行くのは初めて。宇部空港からバスで15分、なんとなく寂寥感がただよう駅(喫茶店『フレンド』のマダムや、バス案内所の女性はとても闊達としていて親切でした)。駅前ロータリーの植え込みのふちに哀愁感を漂わせ腰かけているT君を発見。

 喫茶「フレンド」の前にたたずむ、T君のバッグ

駅近くの『中華・一久』でチャーシュー麺。博多の屋台で食べるようなこってりとした豚骨スープを二人背中を丸めてすする。

 宇部での打ち合わせを終えバスで、新山口へ。小郡が新山口という駅名になったことを初めて知る。

 広島まで新幹線。T君の前席、おじさんは席に着くやいなやこれ以上無理というほどリクライニングをフル活用。いきなりT君の目の前に背もたれが近づく。二人苦笑。なんかT君と同行すると、こういう小さな不幸に見舞われることが多い。今回もこれで終わりそうにないぞ。

 広島は、半年振りくらい。先ほどの寂寥感からか、ちょっぴり悲しい思い出がよみがえる。17~18年ほど前のこと。パリで友人に紹介され親しくなった日本人カメラマン・ヤマバタさんの奥様との会話。

 ロシア生まれユダヤ系フランス人のイリナさん。とてもすてきな方、世話好きで僕にもとてもやさしくしてくれた。健康面には特にこだわりがあり「○○○○(僕のファーストネーム)、深呼吸をしなさい」とか「フルーツはたくさんとっても良いけど夜9時を過ぎると食べてはいけないのよ(理由は忘れました)」などいろいろアドバイスをしてくれた。


 パリのお二人のご自宅にお邪魔した時のこと、広島の百貨店でヤマバタさんの展覧会が開かれるので、そのときには会場でお会いしましょうということになった。それを聞いたイリナさんは、ヒロシマは怖いからダメよ、という。原爆の放射能がまだ残っているかもしれないのよ、と。特に爆心地に入ってはいけないわ、真剣に訴える。

 ヤマバタさんが笑いながら「いつも彼女はこうなんだ、広島も長崎も、もう今は大都市でみんな普通に暮らしているんだ、と説明しても聞かないんだよ」と僕に話した。


 チェルノブイリの事故から間もない時期だったということもあったけれど、イリナさんの言葉を聞いて僕は笑えなかった。たぶん世界中にイリナさんのように、ヒロシマ・ナガサキをそういう風に誤解している人は、今でもたくさんいるのだろうなと思う。僕は悲しく、複雑な気持ちになった。


 ご自身の健康にとても気をつけていたイリナさんが数年前に亡くなったということを昨年、青山のスペイン料理店「エル・カステリャーノ」のオーナーに知らされた。 

 夜は、駅近くの「源蔵本店」で食事。ここに来れば元気になれる。新鮮な刺身を驚くべき値段で提供してくれる。子いわしがキラキラ光っている。個人的には「たこの天麩羅」を偏愛。「源蔵」は定食ものも充実している。ご飯好きのT君も大喜び。乾杯と同時にご飯大盛りを頼んでいる。「うまいっすねー」を繰り返す。大満足。

○3月14日
 広島から福山へ。朝食は、広島駅前の立ち食いうどん「チカラ」。「あっさりきつねうどん」が美味しいです。


 かなりハードに仕事をすませ、やれやれと帰路に着く。T君と福山からのぞみ。手配した指定の席は3人がけだった。これでは一人が真ん中の席になってしまうね、ということでとりあえず自由席の二人席を狙おうと1号車に乗り込む。が、自由席は満席。


 もともとの我々の席は14号車。僕は普通の手提げかばんだが、T君は最近はやりのがらがらキャリーバッグ。左右の乗客のひざやら足にバッグをぶつけ、すいません、すいませんと汗だくになって1号車から14号車へ移動するT君。ようやく指定の席に腰を下ろすと、「岡山に停車します」のアナウンス。新幹線一駅分車内を歩いたのでした。


 そして、T君が真ん中の席へ。(僕は窓側) 雑誌などを読みつつ大阪までは無事に過ごす。大阪で通路側の乗客が交代。T君同様の大きな、がらがらバッグを持った女性が乗り込んでくる。しばらくして女性は爆睡。車体が揺れるごとに、ガラガラバッグはT君のほうへ移動してくる。とうとうガラガラバッグはT君の太ももあたりを激しく圧迫し始める。心やさしいT君はバッグを押しやることもできず気をつけみたいな感じで両足をぴったりとじている。

 この日はホワイトデー。 そういえばバレンタインデーの夜も彼は僕といっしょだった。業界関係者の通夜に参列し、その後立ち寄った蒲田の煮込み屋で肩がぶつかったなどと、となりのたちの悪い客にからまれていた。


 T君の小さな不幸はまだまだ終わりそうにない。

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